習作

平成ペイン7

平成ペイン7

 遠くで何か聞こえたような気がした。すると不意に肩を優しく揺すられた。

「あんた、大丈夫?」

 目を開けると、丸い顔のおばさんが心配そうに覗き込んでいた。僕は彼女の顔を見て「どこにでもいそうなおばさんだ」と思った。そんな人間の典型を彼女の顔は含んでいた。つまり、現実に根を生やした正しく好ましい人間だった。

「あれ、中野じゃね?」

「え、あんたの知っとる子なん?」

 森さんだった。顔を動かす気力はなかったが、声でわかった。じゃあこのおばさんは森さんのお母さんだろうか。

「何してんのこんなとこで」

 峠道を超え岐阜県にたどり着いた僕は、下り坂の終わりにあった道の駅のベンチに座り込んだところで気を失った。最後の下りの時は本当に死んでしまうかもしれないと思った。急勾配な上に左右に曲りくねり、雨でハンドルは滑りやすくなっていた。そこにきて疲労で僕の握力はほとんどなくなっているどころか、手足は謎の麻痺状態で全身に鳥肌がたち呼吸も浅くなっていた。あの状態でよく無事にこのベンチまでたどり着けたものだと我ながら感心する。

「なんで森さんがいるの」

「いやこっちのセリフ」

「死に際に現れる天使が森さんって」

「俺のこと好きすぎだろ」

 そういえば森さんは岐阜出身って言ってたな、とぼんやり思い出した。おそらく森さんの母だと思われるおばさんが暖かいココアの缶を渡してくれ、僕はようやく体の痺れが引いていくのを感じた。

 母親と白川郷に行っていた森さんに救われ僕はその日彼の家に泊まった。彼らに拾われたのが午後四時くらいだったらしいが、目を覚ますとすでに朝の十時を回っていた。ひとまずと布団に横にならせてもらってから、一度も目を覚ます事がなかった。しかし幸いなことに風邪をひいている感じもなく、むしろ気分は良かった。ただお尻が信じられないほど痛かった。それはもう二度と自転車には乗りたくないと一時思わせるだけの激しさであった。

「半分に割れたんじゃね?」

「かもしれん、見てくれる?」

「ええで」

「冗談だから近づかないで」

 執拗に尻を触ろうとする森さんから逃げるくらいには元気だった。そして昨日は台風が接近していたことを知って自分のバカさ加減に笑えてきた。福井のアパートにはテレビもなかったしiPhoneでニュースを見ることもまれだったので、友達も少ない僕は普通の町の中で上手に浮世離れしていたのであった。

「それで、実家帰るんか?」

「いや、福井に戻ろうかなと思う」

 コメダ珈琲で朝昼兼用の食事にありついた。森さんは僕より早く起きて朝食もきちんと食べたらしいが。雨はもう上がって気持ちの良い夏空が広がっていた。

「ええんか?」

「別に帰るって連絡もしてないしね」

「んじゃ一緒に帰るか」

「いいの、お母さん」

「ええよ、あの人明日から友達と海外旅行らしいから、俺も今日福井戻る予定やったし」

「あら」

 幸い森さんの車は大きかったので僕の大切なママチャリを後ろに積み込む事ができた。そのあと僕らはパチンコ屋に行って僕が負けて森さんが勝って二人合わせてプラマイゼロくらいにはなったので二時間かけて僕が森さんに一万円払ったようなもんだったが夜飯を奢ってもらえたのでまあいいかって感じだった。いつもと同じように。僕らは頭のどこかにじんわりとした麻痺を感じながらも「まあいいか」と思いながらいつもと同じ一日を過ごし続ける。これから先もずっと、きっとそうなのだろう。

「それで、家に帰りづらくなったん?」

「別にそういうわけでもないけど。ただ面倒くさくなっただけ」

 晩御飯を食べたあと、なんとなくいつものように僕の家でサッカーのゲームをしていた。

「はい、アザールでござーる」

「はー?ほんとこっちのキーパー雑魚すぎやろ立っとるだけやん」

 森さんがアザールでハットトリックを決めたのでムカついてトイレに立った。どうなんだろう。僕は家族に会いづらくなったのだろうか?別にそんな気はしない。ただいろんなことが面倒になっただけだ。僕には結局何も変えられないし、なるようにしかならない。

 戻ると森さんが勝手にキックオフしてキーパーで点を取ろう遊んでいたので奪い取って無人のゴールにシュートを放ったのだが、あろうことかボールはポストに阻まれた。

「なんなん?神に守られてるの?」

「いや、中野が神に弄ばれてるんやで」

「ほんとそれな」

 試合はゼロ対ヨンでぼろ負けだった。これで五連敗。さすがに飽きた。僕のゲームなんだけどこれ。寝転がって、天井を見上げた。森さんはいつも通りわざと扉を開けたまましょんべんしやがる。うるさい。

 ゲームを入れ替えながら森さんは「思うんやけどさ」と言った。

「ん?」

「中野がそうやって親に理解されない孤独を持ってるように、親も子に理解されない悲しみがあるんやない?俺はまだ親になったことないからわからんけども」

 ハンマーで頭を殴られたような。

 だから僕という人間は滑稽なのだ。結局自分のことしか考えていない。両親が僕をわからないように、僕も両親を理解しない。そしてその悲しみを彼らも持っている。そう考えるのは当然だろう。なぜ僕はそんなことすら自分で気がつけなかったのだろう。

「だから、親ってやっぱすごいよな」

 そうだね、としか僕には言うことができなかった。

 僕は小説を書きたいと言いながら、人間のことが全然わかっていない。友達どころか親ですら何を考えているのかわからない。それじゃダメだ。でも、どうすればいいのか、僕にはさっぱりわからないんだ。みんな一体何を考えて、どうやって生きているのだろう。僕は一体、どうやって生きていけばいいのだろう。

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