習作

平成ペイン5

平成ペイン5

 僕の悪徳の中で最もタチの悪いものは高校を三ヶ月間休んでいた頃に顕著に現れ始めた人間嫌いだろう。それ以後の僕はいつもどこか人間に対して嘲りと軽蔑を持っていたように思える。日ごとに人間のインチキが我慢ならなくなっていく。そしてそんな僕が一番嘲りを持って見つめているのはいつも自分自身であった。他人のことはどうにもならない。なので諦めがつく。しかし自分のことは変えることができると若い僕は未だに信じていた。しかし何も変わらず不機嫌でユーモアに欠けるこの僕という人間には我慢がならない思いをすることが多かった。もっとも生来の小心とそれなりに人の良さそうな外見のため人当たりはよく思われ、旅先で道を訊かれることも多い僕の不機嫌に気がつく者はそんなに多くはなかった。そしてそのことがまた他人を演じ続ける自分への嫌悪感を募らせる。

 自分とは何かという疑問に囚われ続け何もできない僕は、選択をするということをひどく恐れた。何かを選び取った時、選ばれなかった何かを失うことになる。僕はそこにあるものを一つに決めなければならないということに対して強い恐怖を抱いていた。人生とは選択することであるとまで言いきる人がいるというのに、僕はできうる限りそれを避けようとしていた。しかし選択しないということもまた一つの選択である。つまり僕の憧れる無責任で可能性に満ちた自由というものは未来にしかありえず、僕が生きてそこにたどり着いた時、僕は自由を選択することによって自由を殺すのだ。そういった無意識的な嫌悪感を抱えていたせいであろうか、僕は一つの場所に住み続けるということが苦手だった。ある日突然そこにいることが嫌でたまらなくなるのだ。そういうわけで福井県に移って来てから三回引越しをした。一年に一度の恒例行事のようなものだ。

 初めの住処は学校の寮であった。そこの利点は何より賃料の安さだ。月にわずか四千七百円。人間嫌いの僕はご想像通りここでの寮生活を心底嫌っていたが、後々考えると福井での生活の中で得られた恩恵の多くはこの寮に入らなければ得られなかった。つまり、僕はここで森さんと知り合うことができた。僕が彼を好きな理由は、彼がいつもユーモアを忘れない懐の広い人間であったからだ。僕の薄っぺらい憂鬱は彼と話せばいつもどうでもいいものとしてどこかへ片付けることができた。そして彼は僕のように自分の憂鬱を周りに対してさらけ出したりはしなかった。何より彼は僕の話を聞き流す術に長けていた。僕の言葉に引きずられ同じように感傷に浸ることがなく、現実的なユーモアで僕を批判して笑わせてくれた。

 次の年に住んだのは窓から大学が見える細長いアパートで、一階には猫雑貨の店が入っていた。僕は前年から恋猫というその雑貨屋の常連で、そのアパートの大家さんを紹介してくれたのも恋猫の店主だった。ちょっとした用事で店主が出かける時などは僕に店番を頼むような気のおけない仲で、大学から戻ってくるとだいたいまずここのカウンターでコーヒーを入れてもらって雑談した。しかしそこでの生活も一年ほどしか辛抱できなかった。潜在的な理由はいろいろとある。大学へ行くことが精神的に不可能に近くなっていったことで毎朝通学で賑わう大学前から離れたくなったことや、雪が降ると外に設置されている室外機が埋もれて一番寒い時に暖房が使えなくなること。スーパーが目の前なので家から出て散歩する理由も作りづらかったし、ちょっとした散歩で行くには足羽川まで少し距離があったこと。そして最後に背中を押したのはある日突然隣に住む大柄でイカツイ顔の男が勝手に扉を開けて意味のわからないことを怒鳴りながら意味のわからない難癖をつけてきたことだ。僕の部屋はワンルームで、鍵はいつも開いていた。これほど情報量の少ない怒りを浴びせられたのは初めてのことだったので僕はただただ戸惑うばかりで何も言うことができなかった。そのことがまた彼の怒りに油を注いだようで僕は生まれて初めて胸ぐらを掴まれるという経験をした。僕は喧嘩というものをしたことが一度もないのだ。ただの一度も。僕は喧嘩というものにある種の憧れを抱いていた。それは自分に何らかの誇りがある者にしかなし得ない行為であろう。僕には今まで自分のため、他人のために関わらずそういった衝動が胸に湧き上がった試しがなかった。結局恐怖と驚きばかりが募り何も理解できず何も言うことのできない僕に呆れたのか、彼は来た時と同じように勝手に扉を開けて帰っていった。そして怖気付いた僕は久しぶりに鍵を締めてから、しかもチェーンまでしっかりかけると、引越し先を探し始めた。今に至ってもあの日彼が何に怒り何を訴えていたのかさっぱりわからない。

 学校から離れたかったので、次に選んだ新居はアルバイト先の間海のすぐ近くを基準に選んだ。この頃の生活はバイトをしているか眠っているかのほとんどどちらかであった。自分自身の否定はこの世界の否定にまで広がっていたので、とにかく世界を避けるために眠ることくらいしか僕には思いつかなかった。そして深夜、足音を忍ばせてアパートの階段を降りると、足羽川沿いの石段に座って街灯に照らされ揺れる川面を見つめていた。今回の住処は足羽川にほど近い場所にあり、散歩に適した通りが周りに多かった。何を考えていたというわけではない。その暗闇に自分を溶け込ませようとしていたのだ。日中この世界を否定しておきながら、深夜にはこの世界に愛の慰めを求めていた。コンビニで買った缶ビールが世界と自分を溶け込ませる。僕はお酒が弱いから安上がりでありがたかった。物静かに何も言わず僕をそっとしておいてくれる暗闇は好ましい友人であった。そしてアパートに戻って来た時に吐き気がしなければ、ほんの少し物語を書いた。

 それは人間の幸せとは何かということを考え続ける一人の男の話であった。彼は自分の部屋で独り、幸福について考え続けた。身近な人の幸福から遠くの地に住んでいるはずの顔も名前も知らない誰かの幸福まで考え、そして最後になると自分の幸福について深く考えた。けれど何もわからなかった。そして彼はある日気がつくことになる。自分が幸福に過ごすことのできたはずの日々がもうほとんどなくなっていることに。そして自分の体がもうほとんど動かすことのできなくなっていることに。行きたい場所もやりたいことも山ほど考えついていた。しかしそれを為す能力と時間が無くなっていた。そして彼は独りだった。いつだって始められたことを、選択することを恐れいつまでも先延ばしにしていた彼は、真っ白な自分の歴史年表を見て、それを引き裂いた。

「幸せとは正しい選択の先にあるものではない。幸せとは、生きる意志の中に湧き出す泉のようなものだ」

 そして彼は選択の恐怖を受け入れ、生きることを始めようと思った。だから次の日、冷たくなった彼の顔には満足げな笑みが浮かんでいた。

 僕はそんな物語を書いて、だからなんだ、と思った。なるほど物語は世界を変えるきっかけにはなるのかもしれない。しかし実際に世界を変えるのは自分自身の行動なので、僕に必要なのは有無を言わせぬ現実的な実行力のある誰かの助けだった。しかしこんな僕を助けてくれる聖人なんて存在しなかった。僕はその救いを昔からずっと待ち続けていたので、そんなものはサンタクロースと同じくらいしかこの世界に存在しないということを知っていた。誰かに助けられたい人は、誰かに助けられるだけの何らかの価値を示さなければならないのではないか。僕にはそんなものなかった。どこにも行けず、何もできず、全て自分の責任だと諦めて、ゆっくりと、意志的に、その痛みを強く意識しながら、心臓にナイフを突き立てる。そんな妄想が僕の自己否定の自己陶酔をしばらくの間満足させるのであった。

 その日も万年床の上で天井を見つめて想像のナイフと虚構の痛みを楽しんでいたのだが、穴の空いた胸に広がる嫌悪感のあまりの強さに吐き気をもよおし、息をするために散歩へ出かけたくなった。そして明日からお盆休みでしばらくアルバイト先も店を閉めるので数日暇があることに気が付いた。時刻は深夜二時を少し回った頃だった。そういった時、僕は意外と衝動的なのだ。平成最後の夏、僕は黒い大きめのリュックを探し出し、必要最低限の下着と財布、あと本を数冊入れると、福井から三重の実家に向けて自転車を漕ぎ出したのだった。赤いママチャリが闇の中でひとり喘ぎながら前に進む。ライトは壊れていたので、夜回りの警察に捕まらないように祈った。福井の警察は暇なのかしょっちゅう真夜中に僕の自転車の防犯登録を確認するのだ。そろそろ顔を覚えてもらってもいいはずなのだが。

 どれぐらいの距離があるのかわからなかった。僕はあまり地理感覚が優れていない。しかし道を調べながら行くのも興ざめなので、道路標識を頼りに勘で進んで行くことにした。僕は昔から冒険に憧れていた。未知のものに飛び込みたかった。そんな自分を久しぶりに思い出した。小学生の頃、父に冒険という漢字について問いかけた記憶が蘇った。

「ぼうけんのけんって、木偏やっけ、こざと偏やっけ?」

「こざと偏やな。冒険は険しい道やからな」

「そっか、じゃあ冒険の冒の方はどう言う意味?」

 父は知らなかったので、僕は自分で辞書を引いてみた。冒という漢字には、むやみに突き進むというような意味があるようだった。また、上に覆いかぶさるという意味もあった。僕は考えてばかりで何もできずにいる自分にずっと苛立っていた。何も考えず、むやみに険しい道を突き進むことのできる情熱が欲しかった。自分を信じたかったのかもしれない。そしてこの堪えがたい世界の上に覆いかぶさってそれをコントロールしてやりたかった。自分の心が望む方へ舵をとる能力が欲しかった。

 だだっ広い田んぼ道をまっすぐ進む。太平洋側に住んでいた頃は、日の出は海からやって来た。日本海側では日の出は山からやって来る。山からの日の出はむやみやたらと主張しないところが好ましい。山に遮られつつ控えめにゆっくりとこの世界を起こしにかかる。太陽が顔を出し切る前に鳥や蝉たちが先に鳴き出す。宇宙色の空が静かに温かみを帯びていく。日本海側の朝は夜と仲良しなのだ。刺すような朝日ではなく、太陽は絵の具を滲ませるようにゆっくりと空の色を変えていく。素敵な朝だった。僕は頭が空っぽな女の子が言いそうな「素敵」なんてインチキな言葉が嫌いだったが、それは本当に素敵な朝だったんだ。

 大野市に入る頃には背負ったリュックが肩や腰にかける負担がかなりのものになってきた。中身はたいした重さではないはずなのに。物というものはおそらく常に自分の居場所を求めているのだろう。そして一度そこと決めるとその場所から離れないために根を張りその重さを増していくに違いない。僕は苛々したのでリュックを下ろして自転車の前カゴに突っ込んだ。それでしばらくは楽になった。リュックの肩掛けは汗で潮が吹いて白くなっていた。

 そうしてしばらく進んだところで僕は自分が本来向かおうと思っていた方角からかなり逸れていたことにようやく気がついた。自転車で山を超えて行くのはさすがに大変だと思ったので山の間を抜けていける滋賀方面のルートを考えていたのだが、目の前に続くのは岐阜県へ向かう峠道で、どこまで続くかわからない坂がそびえていた。そしてあろうことか雨が降り始めたのだった。僕は家を出る前に天気予報すら確認していなかった。美しい紫の日の出まで見ていたので今の今まで天候の心配などしたことがなかった。

 坂の始まる手前にうまいことコンビニがあったので、僕はそこでポンチョ型の雨合羽を買った。そしてせっかくカゴに居場所を据えたリュックを濡れないようにもう一度背負ってからそれを着込んだ。その峠道がどれぐらい続くのか調べるのはやめておいた。

 峠道で一番怖かったのはトンネル内でトラックに追い抜かれる時だった。路肩が狭いので振り返る余裕もなく、トンネル内で反響するトラックの走行音が近づいてくるのは死の恐怖を伴うものであった。またトンネルの出口で突然上部から草が垂れてきて驚き、もう少しで隣を追い越そうとする車の前にバランスを崩して倒れかけそうにもなった。雨脚はそれほど強くはならないがしとしとと降り続け苛立ちを募らせた。雨に濡れた白線がタイヤを滑らせることも何度かあった。しかし雨よりも僕が敵視したものは風だった。坂道と力を合わせた風にはもうどうしようもなかった。ペダルを漕げども一向に進まない。もはや歩いている方が安全で早いと感じるまで僕はなんとか自転車の上で頑張ったのだが、とうとう体がいうことをきかなくなってしまった。

 雨に打たれ風に吹かれ進んでいるのかもわからない道を右へ左へ上り降りしている間、僕の胸に押し寄せてきたのは罪悪感であった。その苦行は僕にとって懺悔のような感情を引き起こした。僕が今帰ろうとしている家に対して、僕が今まで与えられたものはどれだけあったのだろうか。僕は両親に愛されていた。しかし僕は彼らが僕を愛するほど彼らのことを愛していたのだろうか。理解されないという思いを募らせ、大切なことは語らず、一種の軽蔑をすら持っていなかっただろうか。僕はいつも僕が与えられるほどに誰かに対して何かを与えることができずにいた。小説を書きたいという願いはおそらくそんな自分を理解してもらいたい、もっと他人に歩み寄りたいという思いに端を発しているのではないか。僕は空を見上げるのが好きだ。海や山を見つめるのが好きだった。足羽川のほとりで川面を見つめ何時間もじっと座っていることができた。しかし両親のそばでじっと座り、何かを話すことは僕にとってどこか気詰まりで、何か他に用事がないか終始探しているような気がした。僕は彼らに何かを知られることを恐れ、僕に対して何らかの対価を求められることを恐れていたように思う。頭では理解している。僕の両親は愛の見返りを求めるような人たちではない。しかし僕の心がどうしても罪悪感を覚えずにおられないのだ。僕は彼らに対して何らかの報いを返さなければならないと。愛されるということは、僕にとって、何かを求められるということによく似ていた。愛には責任が伴うものだという考えを捨てられなかった。僕は愛というものについては赤子から何も成長していないのだ。いや、むしろ偏見を持たない子供時代の方がそれをより深く理解していたように思われる。

 そして僕は今、初めてあることに気がつき、胸に深い痛みを覚えた。つまり、僕は母のことも父のこともほとんど何も知らないということだ。彼らにどのような物語があり、どのような歴史があるのか、その足跡をほとんど知らないばかりか、今まで何の関心も示したことがなかったのである。そして、僕は彼らが僕に与えてくれた様々な恩恵を、ほとんど思い浮かべることができないでいるのだ。愛も感謝も、僕という人間の中ではただの言葉でしかなく、中身のない入れ物に過ぎないのではないか。自分の頬を流れるのは雨の雫なのか、それとも涙なのか、僕にはもうわからなくなっていた。風は勢いを増し、雨は斜めに吹き付ける。顔を上げることも困難で、道の先を探ってもほとんど何も見えなかった。しかしもう引き返すこともできず、どこまで続くとも知れない道をひたすら歩き続けるよりほかなかった。

 考えようによってはこんな時でさえ、僕の両親は僕を助けてくれた。彼らへの想いに浸るうちは無心に足を進めることができ、雨の寒さが体に染み込むこともなかったのだから。僕は風雨にさらされながらできる限り彼らのことを考えようと努めた。

 父は不平を言わない行動的な人間だった。どんなささいなことで母に叱られようと最後には自分が意見を引いて非を認め謝ることができた。そうやって家庭生活というものを守っていた。彼は朗らかでよく話しよく酒を飲んだが、母の忠告に逆らうことはなかった。何度か酒で失敗することもあったが、その何度かを槍玉に挙げられいつまでも責められるほどしょっちゅうというわけではなかった。しかし彼はそのことをいつまでも母に責められることを受け入れなければならなかった。また、彼は母からあまり賢いとは思われていないが、僕は彼の賢さを知っている。彼は僕や妹、弟に対して、みんなが周知のこと、言わなくてもいいことを母から最後に言わされる役目を負うことがしばしばあった。言わなくてもわかっているが、どうしても言わないといけないことは家族の間ではしばしば発生する。そしてそれはいつも諍いの種になり、僕らは反発し合うことになる。世の中の当たり前に照らしてどうしても言わなければならないこと。そんなにつまらない話はない。そしてそれを言われることは子供にとって親が自分を理解していないということを強く感じる瞬間として記憶され、思春期にはそれが原因で両者の間には深い溝ができる。つまり、子供に対して「現実を見ろ」と言う時のことだ。子供というのはいつまでもこの世界に夢を見ているし、自分が選ばれた特別な人間だというおとぎ話から覚めたくないものである。僕の父はそのことをよく理解している。子供の心をまだどこかにしまってあるのかもしれない。それが僕が彼のことを人間的に尊いと感じる所以だ。彼は本質的に人間らしく、そして社会的にも人間らしい。知り合いが多く、自分の世界で足ることを知っている。自分の不満を自分で抱えることのできる強さがあり、母の不満を受け止めるだけの忍耐もある。僕はずっと彼がいつか爆発してしまうのではないかと怖かった。それほど見るに耐えない状態が僕の家庭では起こり得た。そして僕はずっとそれに対して見てみないふりをし続けている。しかし彼はよくやっている。家の外で彼がどのように仕事をしてどのように人々と関わっているのかは知らないが、父は心の平衡を崩しきることはなく、僕らの家庭を守り続けていた。

 母はあらゆる責任を自分の親に押し付けているように思われた。詳細な話は聞いたことがないが、学生時代までの生活に対して激しい嫌悪を抱えていることはうかがい知れた。彼女はまるでシェルターのようなところで制限された生活を送っていたような話をした。だから僕が享受する自由に対して何度も憧れを恨み節で語ったものだ。母の根底にはいつまでもそこで失われた何かに対する郷愁が根付いているのであった。

 母親というものは子供への愛についてある種の宗教を持っている。彼女は特にこの宗教の熱心な信者であり、教育法や幸福についての本を多く読んでいた。しかしそういった一般性のある理論がむしろブラインドとなって、目の前の子供の理解に手こずる場合が多い。僕は母のことがよくわからない。個人として何を望んでいるのかがさっぱり感じ取れない。どこかで聞いた話にばかり憧れ、自分の物語を書くことにはあまり興味がないように見えた。そしてそのことを強く気にしている。子供時代に奪われた普通の自由に対する恨みをまだ心の中に抱えているのかも知れない。母の夢は結婚して家を出て子供を産むことだった。そしてそれはもう叶ってしまった。しかし人は生き続けないといけない。そのことに戸惑っているのかもしれない。彼女は自分のできることを小さく見積もり過ぎている。いろんなことにチャレンジしようと、人生を積極的に生きようという努力は何度も見てきたが、いつもどこか情熱に欠けるのが見て取れた。本当にやりたいことが何なのかわからないというような。

 母は父に対してあたりがきつい。それは彼女の唯一の甘えなのだろう。母は僕にとても甘い。僕を理解しようと努めている。しかし僕たちはきっと理解し合えないだろう。僕は母に似ている。そして母は自分自身を理解していない。僕も自分自身を理解していない。何もわからない者どうしがお互いを理解し合えるとは思えない。おそらく僕たちはお互いに人間というものがわかっていない。人間の一番可哀想なところは、各人が自分特有の本質というものを知らないくせに、一個の人格、はっきりした人物の「よそおい」を要求されることであろう。そして大多数の人々にとって重要なのはこの「よそおい」の方であるのだ。おそらくそんなことをヘッセが書いていたと思う。きっとこの「よそおい」こそが現実の人生において実際的で有用なのであろうことは僕にもよくわかった。そして夢見がちな子供で実際的ではない僕は、そんなインチキくさい現実というものを軽蔑しているので、いつまでも本質的な愛にはたどり着けないし、この世界で何者にもなることができないのだろう。僕と母はお互いにこの「よそおい」のせいで本来の自分というものを見失ったと感じているのだと思う。そして母は新しい家族への愛という形でそれを取り戻そうとしたのだろう。しかしそれも彼女が子供時代に作り上げたある種の「よそおい」を追いかけているに過ぎないのかもしれない。本質的な個人というものは本当に存在するのだろうか。それは結局僕らの幻想でしかないのかも知れない。人間というものは大した生物ではなく、結局社会という偉大なものの中で考えるくらいしかできないのかもしれない。そこら中の人に今やりたいことを尋ねたとする。いろんな答えが出てくるだろう。しかしそこで、この社会というものが消え去って世界で独りきりになったという仮定でもう一度同じ質問を投げかけてみる。すると、彼らは何を答えられるだろうか。社会というものがなければ、僕らは動物的に生きること以外に何も思いつかないのではないか?

 僕はいつか両親を幸せにしたいと思っているが、その能力が備わるまでにはきっと多くの犠牲と不理解を強いることになるだろうということはひしひしと感じていた。愛と理解は別物だからだ。愛することに理解は必要ない。しかし理解されない孤独を愛で癒すことはできない。理解される必要はない、と自信過剰の偉大な人は言うかも知れない。けれど僕は自尊心が低く、誰かに受け入れられなければ自分の心の声すら疑ってしまうような弱い人間なのであった。

 気がつくと足が止まっていた。そして顔を上げると「九頭龍温泉」という看板が見えた。薄暗い建物だった。しかし窓には光が見えたので営業していることがわかった。雨があまりにも冷たいということに突然意識された。しばらく体を温める必要があった。

「いらっしゃいませ」

「すみません、温泉だけの利用ってできますか?」

「大丈夫ですよ。今すぐタオルをご用意しますね」

 感じの良い男の人がずぶ濡れの僕を丁寧に案内してくれた。雨合羽とリュックは邪魔にならないところに預かってもらえた。当たり前だがタオルは有料だった。それは仕方のないことだ。とにかく僕は体も心も疲れ果て、冷え切っていた。湯に浸かると、全身に力が入りっぱなしだったことに初めて気がついた。心地よい痛みとともに筋肉はゆっくりとほぐれ、震えながら温もりがゆっくりと体に染み込んでいった。

 僕は何のために生きているのだろう。自死の誘惑は高校生の頃から僕を魅了していた。ヘッセが「荒野のおおかみ」に書いた自殺者の論文が僕はとても気に入っている。しかし僕もヘルミーネがハリー・ハラーに言ったように、人生を思う存分ためしてみたが何も見つからなかった、というようなふりはできなかった。だから死ぬことよりも必死に生きることを考えるべきだ。生き続けるというのなら生きる心配だけすればいいのだから。しかし僕は荒野のおおかみのように教養に富んでいるわけでもなく、崇高な精神を持っているわけでもなかった。なので余計に惨めだ。自殺者の喜びと入り混じった苦しみを享受する資格すらないのかもしれない。僕が死という非常口にまだ駆け込まないのは、その資格を得るにはもっと生きて学ぶ必要があると感じているからに過ぎない。僕は自分で生み出している苦しみ以外の苦しみをこの世界から受けてきたわけではない。僕は今までずっとこの世界から甘やかされて生きてきた。この世界のために何かを為さなければならないような気がする。だから生きることは嫌気がさすのだ。僕は旅がしたい。この世界に存在する何もかもを味わいたい。ただそれだけなのに。僕はどこかに留まっていたくない。そして誰も僕をそこに留めておこうとはしていない。けれど僕はどこへも行けず、何も見ないまま時間を失い続けている。どうしてこんなことになってしまうのだろう。時代のせいなんかではない。これは僕の個人的な問題だ。時代はますます自由に対して優しくなっているはずだ。ようは個人に能力があるかどうかの話なのだろう。そして自由を求める精神とそれを為す能力は別々に育まれるものである。僕にできることは、できる限り嘘のない言葉を探すくらいであった。そうやって言葉を紡いでいくしか方法を知らなかった。しかし言葉にすることですでに多くのことを損なっているので、僕はいつまでも僕らが「本質」などと呼んでいるようなものにはたどり着けないだろう。被造物の言いがたき嘆きってやつ。それでも僕はそれをやり続けなければならない。なぜ?そんなものは知らない。

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