習作

平成ペイン2

平成ペイン2

 僕は高校生まで太平洋側の地元三重県で暮らし、大学進学に伴い日本海側の福井県福井市に引っ越してきた。この地で夏を迎えるのは今年で三回目になる。太平洋側で暮らしてきた僕のイメージでは北陸といえば雪。冬こそ厳しいけれども夏は涼しく暮らせるのではないかと世間知らずに思っていたのだが、日本の夏の暑さはどこでもたいして変わらないみたいだと今のところ思い知らされている。違いといえば三重県にいた頃はほぼ毎年台風の影響を大きく受けていたが、こちらではそれほど大きな被害はないことか。その代わり福井の空はだいたいいつもどんよりとした曇り空で、今日はいい天気だと思って朝から気分良くしていると、お空は「油断したな」とほくそ笑みいたずらにゲリラ豪雨を食らわせてくる。

 森さんは二つ上の先輩で、一年生の始め大学の寮で同じ階に住んでいた頃から裸の付き合いをする仲だ。間海という割烹料理屋のバイトも森さんに紹介してもらってから今までずっと続けている。間海というのは「まがい」と濁って発音するらしい。由来はみんなからマスターと呼ばれる店主の苗字で、マスター曰く福井のある地域には多い苗字らしい。僕は中野という随分とありふれた苗字なので正直羨ましい。真という名前は、名が体を表すかどうかは別として、それなりに気に入っていたりするのだが、中野というのはあまりにも凡庸すぎはしないか。たとえば間海真ならば頭韻を踏んでいるし悪くない、と思ったのだが漢字で表記すると何か鏡文字のような違和感がある。おそらく左右対称の字で左向きの海が挟まれているのでおかしく感じるのだろう。左向きの海?それなら左という字は右を向いているように見えるし、漢字側から言ってという話になると右という字は左を向いていることになるではないか。結局世界は捉え方次第でどうとでも意味を変えるものなのだ。

 話は戻るが前述した小説「ハーモニー」で語られたユートピア的な啓発社会は結局僕が感じるような「気持ち悪さ」によって破滅へ向かった。そしてそれを感じる意識が存在する故に人は苦しむという考えから、脳内に侵入したナノマシンが全ての人から意識を奪い、無意識で生きることを実現した。そして人類はある種の恍惚感を伴う生を手に入れる。大雑把に言うとそんな物語。人はどこへ向かって生きているのか、僕の知りたい答えの一つがそこには記されていた。それが正しいのかどうかはわからない。そもそも正しいという言葉がどのような意味を持つのかすらわからない。誰にとって、どういう意味で、と定義づけをしないと議論はできないだろうし、同じ人間はいないのだから正しさの議論などはぶつけあっても意味を持たないだろう。しかし僕にとってそれはある意味では正しいような気がした。さらに言うと僕はそれに羨望さえ覚えた。

 考えるのは面倒だ。例えば、なぜ生きているのか。そんなことさっぱりわからない。ブルーハーツが「生まれたからには生きてやる」と歌っているのを僕は知っている。しかしその問いは消えないどころか僕を飲み込み動けなくすることがある。そんなこと考えたってどうしようもないとはわかっている。目の前のことに最善を尽くして今いる場所を少しでも良いものにしようと行動することしか僕らにはできない。僕らが生きることができるのは今だけだ。しかし「希望は過去にしかない」と誰かが言っていた。ではいつどこでどうやって生きればいいのだろう。

 考えるだけでは何も変えられない。僕はアインシュタインではない。平凡に達するか達しないかのボーダーラインに立つ、いくらでも代わりのきく社会の歯車になるべき平凡な大学生でしかない。そしてこの社会というものを支えているのはそんな未来の僕たちなのだろう。みんながみんなそんな社会というよくわからないものに生かされているのにそれのことを忌み嫌っているようなことを言う。そしてそれにすがり続けている。そんな矛盾した滑稽な姿を晒し続けていると、生きることがなんだか白けてきてしまう。社会から供給された電気の下で社会から供給された安全な水道水を飲みながらこんなことを書いているのだから僕が一番滑稽だ。そして今日も「世界はなぜあるのか?」などという本を買ってしまう。これがいわゆるモラトリアムというものなのだろうか。そんな小さな苦悩はありきたりでみんなが経験することでありお前は何ら特別ではないと証明するように、その本の冒頭にはこんな手紙の一文が引用されていた。

 すべてのことに理由と説明を見出そうとしないよう、あなたに本気で戒めます。すべてのことに理由を見出そうとするのは大変に危険で、何も功を奏しません。失望と不満が残るだけで、あなたの心は動揺し、最後には惨めな気持ちになります。

 結局わずか一頁めくっただけで揺らいでしまうような浅く低レベルの疑問でしかないのだ。しかしその疑問を引っ込めたからといってどう生きればいいのかわかるわけではない。自分が何を感じ何を求めているのかさっぱりわからない。みんなにはわかるのだろうか?みんなとは誰だ?自分以外の意識というものは本当に存在するのだろうか?そんなことを夜な夜な考え続けているうちに気がつけば日本海側で三回目の夏を迎えるにいたったわけ。その間に僕は何を学びどう生きてきたっけ?日本海は想像通りの荒波でサーフィンにはうってつけだが、僕はサーフィンをしない。スノーボードもしない。正直に言って、自分がなぜここにいるのかさっぱりわからなくなっていた。なのでそれを今一度思い出すために時間を巻き戻そう。今が七月だから、話は二年と三ヶ月ほど戻る。

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