習作

平成ペイン1

平成ペイン1

 理由のない絶望、なんて書くとあまりにも大げさだが、対象のないこの苛立ち、焦燥感、息苦しさは昔からずっとつきまとっていた。目の前が真っ暗になる。足元が突然抜けるような感覚。そんなありきたりで被害者ぶったことを言うわけではない。もっと漠然とした、意識にのぼるかのぼらないかあたりにぼんやりと浮かんでいる赤い風船のようなものが、少しずつ心を侵食していく。ペニーワイズが、あのピエロが心の片隅に住み着いていて、得意げに風船を散歩させ、行く先々でマーキングする。少しずつ、しかし確実に、死への渇望を植え付ける。誰も君を救ってはくれないと。私が、このピエロが、この死のみが君を救うことができるのだと。初めは気にならない程度だったのに、一度意識すると我慢できないほど強く感じてしまう嫌な臭い。汚いトイレのタイルや浴室のカビのように、それを見て息を吸うことすら拒絶したくなるようなものがどんどんまわりに増えていく。意味があるのかないのかさっぱりわからないものに何の疑問も持たない社会に対する嫌悪感。それらは全て現実から逃げようとしている僕の言い訳でしかないのだろうか。理解されないと嘆くのは、理解されようという努力が足りないからなのだろうか。しかし水と油のようにこの世の中には相容れない価値観が確かに存在する。そして僕はいつもマイノリティで、だからきっと僕が間違っているのだろう。それが民主社会だから。

「逆なんだよな、順番が、だいたいいつも」

 露天風呂の岩に腰掛けて熱い湯に足だけ浸しながら森さんは言った。バイト帰りの深夜、極楽湯というたいそうな名前のスーパー銭湯に僕らはいた。夏のベタつく空気の中、魚臭い身体を清めるため三十分近く歩いて来た。さっぱりした風呂上がりにまた同じ時間歩いて帰らなければならないのが億劫だったのか、二人ともほとんどのぼせているのに帰ろうという気にはならなかった。湯船につかる足元でおもちゃの黄色いひよこたちが呑気に漂っているのを見つめながら僕は話の続きを待った。

「その気持ち悪さは確かにある。確かにあるけど、社会に出たこともない、まだ何も成し遂げたことのない学生の俺らがそれを言うのは違うような気がする。それを正しい意味で言うことができるのは、その気持ち悪いと思う社会をどうにかこうにか生き抜いた人たち、というか普通よりももっと上まで行った成功者といえるような人にならないとダメな気がする」

 そうなんだよな、と呟きながら、本当にそうなのだろうか、と心の中で再度問う。だって、成功者になったってことは、その気に入らない社会の中で力を示して、自分の思う何かを獲得するところまで進んだってことで、文句を言わず行動で示し終えたってこと。そこまで行ったのならもうわざわざ過ぎ去った世界に対して文句を言う必要もないのではないか?それにこの気持ち悪さを感じているのは今の僕たちなのだし。正しい立場で発言しようとするなら、その気持ち悪さは確かにそこにあるというのに、いつまでたっても言うべき人の口からは飛び出さないような気がする。それを言うことができる人はそれを言う必要がないところにいるのだから。かといってやはり今の僕たちがそれを言ってもただの言い訳でしかなく、結局誰がどう言っても滑稽になって本気で受け取ってはもらえない。それが現実を支配している社会というものの強さなのだろう。誰もそれを否定することはできない。

 別に死にたいわけではない。ただ生きる方法がわからないだけだ。社会が悪いわけではない。誰が悪いわけでもない。ただ、この痛みを誰かに知ってもらいたいだけなのかもしれない。ヘソの上あたりが不快に熱くなり胃が収縮するような。吐きたいのに吐くものがなにもない時のような。叫びたい衝動に駆られているのに叫ぶべき言葉が見つからず開いた口からただ深いため息をもらすような。理由なんてないから、それを取り除けば救われる類のものではなくて、その小さな不快感は死の原因に成り得る可能性を持ち続けている。一生治らない口内炎が一つずつ増えていくことに人は堪えられるのだろうか。

「とにかく、なんとか、気分良く生きたいよね」

「だね」

「んで、そのためにはどうしたらいいのかな」

 足で波を立ててひよこたちをあしらう。結局、と森さんは言った。

「目の前のことを一生懸命やるのしかないんじゃね?」

「んー、けどならもうちょっと遅くない?」

「んー」

「高校生ならまだしも、こんな地方の微妙な大学にいる時点で頑張ってもたかが知れてるみたいなところない?」

「そこ。そこが中野の悪いところ。なんだかんだ言って結局この社会に囚われてる。小さな世界から飛び出せない」

「飛び出し方がわからない。その力がない」

 結局、僕はその程度なのだ。その諦観と無能力がつまらない理由だろう。いつからだってどこからだっておもしろく生きられる人はいるのかもしれない。けれど僕にはその方法が全くもってわからない。そしてそれは誰も教えてはくれない。今を楽しめないなら、結局どこへ行って何をしても文句しか言えないのかもしれない。やりたいことをやれ、といろんな人が言うけれど、やりたいことが何なのかわかっているならばこんな苦痛に生きてはいない。漠然とやりたいことはある。絵の練習。ピアノが弾けたら。自転車で日本一周。海外も旅したい。英語とスペイン語を話せるようになりたい。プログラミングも学びたい。友達と起業したい。正直に言うと、何だってやりたいんだ。つまり、何もしたくない。どれもこれも本気ではない。なんとなく、ふんわりと脳裏に浮かぶだけで、子供の落書きみたいなもの。

 自分の欲望がわからない。そして、他人の欲望がわからない。当たり前のように日々を生きている人たちに驚く。道ゆく人たち全員に問いかけたい。あなたはどうして生きているのですか?何のために?どこへ向かって?たぶんきっと間違っているのは僕で、正しいのはこの社会なのだろう。そう思わないとやりきれない。

「なら力をつけよう、とはならないの?」

「何の力をつけたらいいんだろうって迷路が始まるから」

 なるほどうぜー、と森さんは笑った。

「結局最強は物理だろ。まず筋トレしろ。パワーイズチカラ」

「そのままやんけ」

「名言やろ」

「誰の?」

「俺」

 意味もなくハイタッチして僕らは脱衣所へ向かった。残されたひよこたちはいつまでも無表情で湯船の中を漂っている。その世界に満足して何も考えず無意識的に生きることができれば、それが一番幸せなのかも知れない。そう思ったのは伊藤計劃の「ハーモニー」を読んだばかりだったからで、僕自身の考えなんて突き詰めていけばどこにもないのだろう。そもそもこの「僕」というものは本当に存在するのだろうか?

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