自由

自由

自由という言葉は、たしか福沢諭吉が訳したんだっけ。自らに由る。

ところで、自らって、なんだろう。

それがわからないのに、どうして自由なんて言葉を好きになることができるのか。

そこら中にある自由。どんどん世界は自由になる。けれど、本当に?

自由という言葉の意味が、僕にはよくわからない。

安楽死についての小説を古市さんが書いた。僕は読んでいない。

自己決定権と、日本に蔓延する自由は、少し違うものなのだろう。

自由を求めるが、責任は持ちたくない。

けれど海外でだって、人々の声で、いろんなものが規制されていく。

自分で決めることができないから、そもそも禁止してしまう。

問題を自分でどうにかするのではなく、問題自体を無くしてしまう。

それで、いいのだろうか。だれがそれを正しいと決めたのだろう。どうでもいいけど。

弟は、自分の正しさを主張することにムキになっている。

普遍的な正しさなんてものは、この世界に存在するのだろうか。

道徳的な倫理観は存在する。けれどそれだって、環境によって変わる気がする。

僕らは何を信じればいいのだろう。

自らに由る。僕はどこにいるのだろう。僕は何に由ればいい?

正しく生きることが、果たして正しいのだろうか。

正しく生きて、自らの望むものを得られず、それで、満足して死ぬことができるのだろうか。

綺麗に生きて、他人に誇れる死を迎えても、それは幸せだろうか。

自由に生きたい。けれど、自由の意味がわからない。

何にも満足を覚えることがない。自分が何を求めているのかわからない。

助けてほしい。しかし、誰に助けを求めればいいのかわからない。

何から助けられたいのかわからない。

けれど、もう自分ではどうしようもないと思っている。

何を言いたいのだろう。物語を綴ることで、僕は何を伝えたいのだろう。

僕は、救われたいのだと思う。しかし、何から?

どうすれば、救われたと思うのだろう。

愛されたい。そのために価値を示すことはできない。愛されない。

愛するとは、どういうことだろう。どうすれば愛されるのだろう。

何も必要ないといいなと思う。都合がいい話だ。

愛してくれたなら、僕はここから歩き出すことができる。

けれど、ここから歩き出さなければ、愛されることはないだろう。

何の担保もなく、信じてほしい。そんなことは、ありえないのだろう。

自由に愛することは、できないのだろう。自分なんて、誰も知らないのだから。

人間が最も論理的に思考する方法は、比較することだと何かで読んだ。

自らに由るなんて、信用ならない考え方なのだろう。

正しくなくてもいいと、僕は思うのだが。

間違っていても、自由に愛することができれば、いいのにな。

王様は死んだ。僕らは自由だ。それでも、王国は続いていく。

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