平成ペイン2

 僕は高校生まで太平洋側の地元三重県で暮らし、大学進学に伴い日本海側の福井県福井市に引っ越してきた。この地で夏を迎えるのは今年で三回目になる。太平洋側で暮らしてきた僕のイメージでは北陸といえば雪。冬こそ厳しいけれども夏は涼しく暮らせるのではないかと世間知らずに思っていたのだが、日本の夏の暑さはどこでもたいして変わらないみたいだと今のところ思い知らされている。違いといえば三重県にいた頃はほぼ毎年台風の影響を大きく受けていたが、こちらではそれほど大きな被害はないことか。その代わり福井の空はだいたいいつもどんよりとした曇り空で、今日はいい天気だと思って朝から気分良くしていると、お空は「油断したな」とほくそ笑みいたずらにゲリラ豪雨を食らわせてくる。

 森さんは二つ上の先輩で、一年生の始め大学の寮で同じ階に住んでいた頃から裸の付き合いをする仲だ。間海という割烹料理屋のバイトも森さんに紹介してもらってから今までずっと続けている。間海というのは「まがい」と濁って発音するらしい。由来はみんなからマスターと呼ばれる店主の苗字で、マスター曰く福井のある地域には多い苗字らしい。僕は中野という随分とありふれた苗字なので正直羨ましい。真という名前は、名が体を表すかどうかは別として、それなりに気に入っていたりするのだが、中野というのはあまりにも凡庸すぎはしないか。たとえば間海真ならば頭韻を踏んでいるし悪くない、と思ったのだが漢字で表記すると何か鏡文字のような違和感がある。おそらく左右対称の字で左向きの海が挟まれているのでおかしく感じるのだろう。左向きの海?それなら左という字は右を向いているように見えるし、漢字側から言ってという話になると右という字は左を向いていることになるではないか。結局世界は捉え方次第でどうとでも意味を変えるものなのだ。

 話は戻るが前述した小説「ハーモニー」で語られたユートピア的な啓発社会は結局僕が感じるような「気持ち悪さ」によって破滅へ向かった。そしてそれを感じる意識が存在する故に人は苦しむという考えから、脳内に侵入したナノマシンが全ての人から意識を奪い、無意識で生きることを実現した。そして人類はある種の恍惚感を伴う生を手に入れる。大雑把に言うとそんな物語。人はどこへ向かって生きているのか、僕の知りたい答えの一つがそこには記されていた。それが正しいのかどうかはわからない。そもそも正しいという言葉がどのような意味を持つのかすらわからない。誰にとって、どういう意味で、と定義づけをしないと議論はできないだろうし、同じ人間はいないのだから正しさの議論などはぶつけあっても意味を持たないだろう。しかし僕にとってそれはある意味では正しいような気がした。さらに言うと僕はそれに羨望さえ覚えた。

 考えるのは面倒だ。例えば、なぜ生きているのか。そんなことさっぱりわからない。ブルーハーツが「生まれたからには生きてやる」と歌っているのを僕は知っている。しかしその問いは消えないどころか僕を飲み込み動けなくすることがある。そんなこと考えたってどうしようもないとはわかっている。目の前のことに最善を尽くして今いる場所を少しでも良いものにしようと行動することしか僕らにはできない。僕らが生きることができるのは今だけだ。しかし「希望は過去にしかない」と誰かが言っていた。ではいつどこでどうやって生きればいいのだろう。

 考えるだけでは何も変えられない。僕はアインシュタインではない。平凡に達するか達しないかのボーダーラインに立つ、いくらでも代わりのきく社会の歯車になるべき平凡な大学生でしかない。そしてこの社会というものを支えているのはそんな未来の僕たちなのだろう。みんながみんなそんな社会というよくわからないものに生かされているのにそれのことを忌み嫌っているようなことを言う。そしてそれにすがり続けている。そんな矛盾した滑稽な姿を晒し続けていると、生きることがなんだか白けてきてしまう。社会から供給された電気の下で社会から供給された安全な水道水を飲みながらこんなことを書いているのだから僕が一番滑稽だ。そして今日も「世界はなぜあるのか?」などという本を買ってしまう。これがいわゆるモラトリアムというものなのだろうか。そんな小さな苦悩はありきたりでみんなが経験することでありお前は何ら特別ではないと証明するように、その本の冒頭にはこんな手紙の一文が引用されていた。

 すべてのことに理由と説明を見出そうとしないよう、あなたに本気で戒めます。すべてのことに理由を見出そうとするのは大変に危険で、何も功を奏しません。失望と不満が残るだけで、あなたの心は動揺し、最後には惨めな気持ちになります。

 結局わずか一頁めくっただけで揺らいでしまうような浅く低レベルの疑問でしかないのだ。しかしその疑問を引っ込めたからといってどう生きればいいのかわかるわけではない。自分が何を感じ何を求めているのかさっぱりわからない。みんなにはわかるのだろうか?みんなとは誰だ?自分以外の意識というものは本当に存在するのだろうか?そんなことを夜な夜な考え続けているうちに気がつけば日本海側で三回目の夏を迎えるにいたったわけ。その間に僕は何を学びどう生きてきたっけ?日本海は想像通りの荒波でサーフィンにはうってつけだが、僕はサーフィンをしない。スノーボードもしない。正直に言って、自分がなぜここにいるのかさっぱりわからなくなっていた。なのでそれを今一度思い出すために時間を巻き戻そう。今が七月だから、話は二年と三ヶ月ほど戻る。

平成ペイン1

 理由のない絶望、なんて書くとあまりにも大げさだが、対象のないこの苛立ち、焦燥感、息苦しさは昔からずっとつきまとっていた。目の前が真っ暗になる。足元が突然抜けるような感覚。そんなありきたりで被害者ぶったことを言うわけではない。もっと漠然とした、意識にのぼるかのぼらないかあたりにぼんやりと浮かんでいる赤い風船のようなものが、少しずつ心を侵食していく。ペニーワイズが、あのピエロが心の片隅に住み着いていて、得意げに風船を散歩させ、行く先々でマーキングする。少しずつ、しかし確実に、死への渇望を植え付ける。誰も君を救ってはくれないと。私が、このピエロが、この死のみが君を救うことができるのだと。初めは気にならない程度だったのに、一度意識すると我慢できないほど強く感じてしまう嫌な臭い。汚いトイレのタイルや浴室のカビのように、それを見て息を吸うことすら拒絶したくなるようなものがどんどんまわりに増えていく。意味があるのかないのかさっぱりわからないものに何の疑問も持たない社会に対する嫌悪感。それらは全て現実から逃げようとしている僕の言い訳でしかないのだろうか。理解されないと嘆くのは、理解されようという努力が足りないからなのだろうか。しかし水と油のようにこの世の中には相容れない価値観が確かに存在する。そして僕はいつもマイノリティで、だからきっと僕が間違っているのだろう。それが民主社会だから。

「逆なんだよな、順番が、だいたいいつも」

 露天風呂の岩に腰掛けて熱い湯に足だけ浸しながら森さんは言った。バイト帰りの深夜、極楽湯というたいそうな名前のスーパー銭湯に僕らはいた。夏のベタつく空気の中、魚臭い身体を清めるため三十分近く歩いて来た。さっぱりした風呂上がりにまた同じ時間歩いて帰らなければならないのが億劫だったのか、二人ともほとんどのぼせているのに帰ろうという気にはならなかった。湯船につかる足元でおもちゃの黄色いひよこたちが呑気に漂っているのを見つめながら僕は話の続きを待った。

「その気持ち悪さは確かにある。確かにあるけど、社会に出たこともない、まだ何も成し遂げたことのない学生の俺らがそれを言うのは違うような気がする。それを正しい意味で言うことができるのは、その気持ち悪いと思う社会をどうにかこうにか生き抜いた人たち、というか普通よりももっと上まで行った成功者といえるような人にならないとダメな気がする」

 そうなんだよな、と呟きながら、本当にそうなのだろうか、と心の中で再度問う。だって、成功者になったってことは、その気に入らない社会の中で力を示して、自分の思う何かを獲得するところまで進んだってことで、文句を言わず行動で示し終えたってこと。そこまで行ったのならもうわざわざ過ぎ去った世界に対して文句を言う必要もないのではないか?それにこの気持ち悪さを感じているのは今の僕たちなのだし。正しい立場で発言しようとするなら、その気持ち悪さは確かにそこにあるというのに、いつまでたっても言うべき人の口からは飛び出さないような気がする。それを言うことができる人はそれを言う必要がないところにいるのだから。かといってやはり今の僕たちがそれを言ってもただの言い訳でしかなく、結局誰がどう言っても滑稽になって本気で受け取ってはもらえない。それが現実を支配している社会というものの強さなのだろう。誰もそれを否定することはできない。

 別に死にたいわけではない。ただ生きる方法がわからないだけだ。社会が悪いわけではない。誰が悪いわけでもない。ただ、この痛みを誰かに知ってもらいたいだけなのかもしれない。ヘソの上あたりが不快に熱くなり胃が収縮するような。吐きたいのに吐くものがなにもない時のような。叫びたい衝動に駆られているのに叫ぶべき言葉が見つからず開いた口からただ深いため息をもらすような。理由なんてないから、それを取り除けば救われる類のものではなくて、その小さな不快感は死の原因に成り得る可能性を持ち続けている。一生治らない口内炎が一つずつ増えていくことに人は堪えられるのだろうか。

「とにかく、なんとか、気分良く生きたいよね」

「だね」

「んで、そのためにはどうしたらいいのかな」

 足で波を立ててひよこたちをあしらう。結局、と森さんは言った。

「目の前のことを一生懸命やるのしかないんじゃね?」

「んー、けどならもうちょっと遅くない?」

「んー」

「高校生ならまだしも、こんな地方の微妙な大学にいる時点で頑張ってもたかが知れてるみたいなところない?」

「そこ。そこが中野の悪いところ。なんだかんだ言って結局この社会に囚われてる。小さな世界から飛び出せない」

「飛び出し方がわからない。その力がない」

 結局、僕はその程度なのだ。その諦観と無能力がつまらない理由だろう。いつからだってどこからだっておもしろく生きられる人はいるのかもしれない。けれど僕にはその方法が全くもってわからない。そしてそれは誰も教えてはくれない。今を楽しめないなら、結局どこへ行って何をしても文句しか言えないのかもしれない。やりたいことをやれ、といろんな人が言うけれど、やりたいことが何なのかわかっているならばこんな苦痛に生きてはいない。漠然とやりたいことはある。絵の練習。ピアノが弾けたら。自転車で日本一周。海外も旅したい。英語とスペイン語を話せるようになりたい。プログラミングも学びたい。友達と起業したい。正直に言うと、何だってやりたいんだ。つまり、何もしたくない。どれもこれも本気ではない。なんとなく、ふんわりと脳裏に浮かぶだけで、子供の落書きみたいなもの。

 自分の欲望がわからない。そして、他人の欲望がわからない。当たり前のように日々を生きている人たちに驚く。道ゆく人たち全員に問いかけたい。あなたはどうして生きているのですか?何のために?どこへ向かって?たぶんきっと間違っているのは僕で、正しいのはこの社会なのだろう。そう思わないとやりきれない。

「なら力をつけよう、とはならないの?」

「何の力をつけたらいいんだろうって迷路が始まるから」

 なるほどうぜー、と森さんは笑った。

「結局最強は物理だろ。まず筋トレしろ。パワーイズチカラ」

「そのままやんけ」

「名言やろ」

「誰の?」

「俺」

 意味もなくハイタッチして僕らは脱衣所へ向かった。残されたひよこたちはいつまでも無表情で湯船の中を漂っている。その世界に満足して何も考えず無意識的に生きることができれば、それが一番幸せなのかも知れない。そう思ったのは伊藤計劃の「ハーモニー」を読んだばかりだったからで、僕自身の考えなんて突き詰めていけばどこにもないのだろう。そもそもこの「僕」というものは本当に存在するのだろうか?

第3回ねじくれ者が送る~ねじまきラジオPart2~

社会の型からハズれまくり、ひとねじりを持ち合わせた、「塾の先生・もり、レーサーのおかもと、小説作家のなかの」3人が「教育」「eSports」などそれぞれの分野について語り合う様子をお届けします。

3人のねじくれものが繰り広げる日常会話を楽しく配信していく、そんなラジオです。

第2回目となる放送内容は、

 

テーマ①「卒業旅行」もり

テーマ②「意味違いのことば」おかもと となっています!

 

#ねじまき でこの放送に関する、ご意見、ご感想、ご質問を是非ツイートしてください!

すべてチェックしていますので、次回放送の参考にさせていただきます。

また、音源は macoco.jp/nejimaki_radio/ にて公開していますので、そちらでもチェックすることができます。

放送挿入歌はcell divisionの「オムライスのうた」 Twitter、インスタグラムのフォローも是非、よろしくお願いします!

Twitter : @nejimaki_radio

instagram : @nejimakiradio

 

 

Part2


第3回ねじくれ者が送る~ねじまきラジオPart1~

社会の型からハズれまくり、ひとねじりを持ち合わせた、「塾の先生・もり、レーサーのおかもと、小説作家のなかの」3人が「教育」「eSports」などそれぞれの分野について語り合う様子をお届けします。

3人のねじくれものが繰り広げる日常会話を楽しく配信していく、そんなラジオです。

第2回目となる放送内容は、

 

テーマ①「卒業旅行」もり

テーマ②「意味違いのことば」おかもと となっています!

 

#ねじまき でこの放送に関する、ご意見、ご感想、ご質問を是非ツイートしてください!

すべてチェックしていますので、次回放送の参考にさせていただきます。

また、音源は macoco.jp/nejimaki_radio/ にて公開していますので、そちらでもチェックすることができます。

放送挿入歌はcell divisionの「オムライスのうた」 Twitter、インスタグラムのフォローも是非、よろしくお願いします!

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instagram : @nejimakiradio

 

 

Part1

ラジオ探偵シリーズ0

ラジオ探偵ねじまきねじおの誕生

はじまりましたーねじまきラジオ、おかもとです。
もりです。
いやあ、誰が聞いてんだって感じのこのラジオですが、どうですか?
楽しいね。思ったより再生数があるみたいで。
そうそう、前回も百回くらい再生されてるみたいで。ちょっと慣れてきて再生数まで気にし出してね。
この話ちょっと長いなとか反省会始めたり。
プロ感出してね。ほんとおまえら誰やって感じやのに。
ほんとに。もりさん自分で何回も聞いて再生数稼いでないですか?
正直何回か聞き直してるから十回くらいは僕のクリックかもしれん。
僕も確認のために何回か押してるんでねー、実際どれくらいの人が聞いてるのかちょっと心もとないですねー。さて、日々まわりでミラクルが起こることで有名なもりさんですが、最近はどうですか?
最近ねー、これはちょっとインパクト薄いんやけど。
お、それでも毎週何かしらあるんですね。
昨日ちょっと気分が落ち込んでてね、湯船に浸かりながら長渕剛のトンボを歌ってたわけですよ。
おお、気分が落ち込むとお風呂でトンボを歌うんですね。その時点でやっぱちょっと変な人だわ。
それも熱唱ね。それでまだ歌いながら気分良く出てきたわけ。
ほうほう。まあここまではいつも通りのもりさんということで。
ほんでテレビつけたらちょうど。
ちょうど?
テレビの企画で長渕剛のトンボを歌いきれってのをやってるんさ。
おほー、見事にシンクロしてたわけですね!
まあ、そんくらいかな。たいしておもしろくなかったね。
いやあ、家の中でトンボ熱唱してるあたりでもうおもしろいですよ。
それ僕がただの変人ってだけちゃう?
それはそうやからええやん。
お、なかのさんがようやく一言発しましたー。ここで1曲、みんな大好き「オムライスのうた」を今日もかけさせてもらいます。

収録が途切れると共になかのは大きなくしゃみをした。薬局の受付をしている彼の母によればようやく花粉症の患者数が減り、仕事が楽になってきたところなのだが、それと入れ替わるように彼は花粉症を発症した。
「なんで今更やねん」
「知らんけど。何花粉やろ」
「今だとヒノキとかじゃないですか?ちょっとトイレ行きます」
おかもとは鼻をかむなかのの近くにゴミ箱を移動させてから席を立った。
「そういえば昨日親が夜ご飯外に食べに行くって言うから車出したんやけどさ」
「また店閉まってた?」
「言うなよ。まあそうなんやけど。何回目やねんって」
「安定のパフォーマンスやね。てかそれラジオで話せよ」
「まあ話すことはいくらでもあるし」
「おお言うねえ。さすが一年で三回もフロントガラスに飛び石くらう男」
「四回な」
なかのはテーブルの上に山になりかけていた使用済みティッシュを丸めてゴミ箱に放り込んだ。
「そういやKくんがあんたの小説読んでえらい感銘受けてたで」
「おお、ほんとに読んでくれたんや。面白かったって?」
「後半涙が止まりませんでしたって言ってた。それであの子影響されて今小説書こうとしてるで」
「部活やめて時間できた結果それかあ、わし悪い影響ばっか与えとんな」
「ほんまに。まあ今度読んだってよ」
「ええけど、わしもまだデビューしとらん素人やけどな」
おかもとは戻ってくるとゴミ箱に溜まったティッシュを見て笑った。
「どんだけ鼻かむんですか」
「ごめんよ、ヒノキに文句言ってくれ」
「お、ちょうど曲終わりましたね」

えー、今日も聞いてもらいました、オムライスのうた。
オムライス食べたくなってもらって。
僕らは別に食べないんですけどね。ねじくれてるわあ。
それよ。さすがに食べろよなこんだけ使わせてもらって。おかもと君はいつも甘い系ばっかりやもんな。
そうですねー、オムライスやったらうちで作るしと思って。
まあそうやなあ。僕もピザばっか頼むし。
上にトマト乗ってるやつ。
トマト嫌いやからそれは全部なかの先生の方にどけるんやけどね。
激選した上でトマト乗ってるやつ選びますよね。
ね、なんでやろ。あれだけ悩んだくせに上にトマト乗ってるかどうかは見落とすっていうね。
用意周到なわりに。
大事なとこで気を抜くみたいやね。
大事なところで気を抜くなということを反面教師で示してるのかな?というところで、今日もテーマ1、いきますか。
あ、ちょっとその前にいいですか?
お、なかのさん、珍しいですね、なんですか?
ようやくこのラジオにもファンができたみたいで、メールが届いてたんですよ。
おお!それは嬉しい!
どんなメール?面白いって?
えー、読み上げますね。ペンネーム雨上がりさん。
決死隊かな?
えー、おかもとさん、もりさん、隠れキャラのなかのさん、こんにちは。
こんにちは!
こんにちはー。というか隠れキャラなんですね、なかのさんは。
いつもひねくれた日常会話、楽しく聞かせていただいてます。
ありがとうございまーす。
これは褒められてるんかな?
私はもりさんの不運話が大好きです。私もついてないと自分で思っていたんですが、私なんて目じゃないほどの不運の連続を笑い話にできるもりさんのおかげで希望が持てました。えらい大げさやね雨上がりさん。
僕らのラジオに希望を求めてる人もいるんですね。
ちょっと荷が重い気がせんでもないけど。みなさんの希望になれるようにこれからも頑張ります。
頑張って不運を集めますってことかな?えー、続けます。ところで昨日、子供にこんなことを訊かれました。お母さん、虹ってどうしてあんな形をしてるの?私はアーチ状の虹の形に疑問を覚えたことがなかったので驚きました。そういえばどうして虹はアーチ状なのでしょう。
お母さんなんですね雨上がりさん。それはねー、僕らに訊くよりもググった方がいいと思いますよー。
まあそうなんやけど、もり先生は子供たちを相手にしてるわけやん普段。もし訊かれたらどう返すんかなと思いましてこのメールを読ませてもらったわけですが、どうですか?
えー、地球が丸いから?
あー、なるほどね。地球の円周に沿って曲がっていると。実際どうなんやろ、虹が七色に見える理由なら説明できるけど。
お、さすがおかもと君。では何故虹は七色に見えるのでしょう。
あれは光の波長の違いですよね。太陽光はいろんな波長の光が混ざってて、それが重ね合うから白、というか透明に見えるけど、空気中の水滴で屈折したら、いろんな波長の光が屈折率によってそれぞれ別の角度に進んでいくんですよね。波長の長い光はちょっとしか曲がらんけど、波長の短い光はいっぱい曲がるから、長い赤とかは上になって短い青とかは下に、あれ、逆ですか?
逆やね。虹は太陽とは反対の方向にできるから、雨粒で反射した光を見てるわけ。てことは、光は入る時と出る時、二回屈折してるんやね。だからあんまり曲がらない赤色系が下になって、よく曲がる青色系が上に来る、でええかな?
もりさん正解。ただ質問は何故アーチ状なのかってことだから、そんなドヤ顔しなくていいですよ。
そうやったな。で、なかのさん調べてきたん?
一応調べてきました。何故虹がアーチ状なのか。虹は、僕らにはそこにしか見えないんやけど、実はそこら中にあるのかもしれんのやね。
え、どういうこと?
えっとね、虹がアーチ状に見えるのは、僕らが見やすいからそう見えるってだけなんだよね。というのは、太陽、水滴、観察者の角度が、ある一定の角度になったときに、屈折された太陽光が強い光として観察者に届くわけ。その角度がだいたい42度やったかな。つまり、42度の角度の光が僕らには見えやすいから、あんな形に見えるってこと。
へー。だから虹に近づこうとしても近づけないわけですか。
そうそう、42度の場所は観測者の位置によって変わるからね。てことはさ、考えようによってはこの世界全てが虹に覆われてるって考えられるよね、見えないだけで。
おー、でましたね、なかのさんのロマンチック思考。
でもさ、アーチ状じゃない虹もあるやん?まっすぐな虹。地震の前触れとか言われるやつ。
あ、さすがもりさん、ねじれ者代表、痛いところつくね。
まあね、つっこんどかんと。地震雲とか気になるし。
それもちょっと調べましたよ。どうもそれには環水平アークって名前がついてまして。
急にかっこええな。
でしょ。ほんでこれは虹とは逆に太陽側に現れるんやね。これは太陽の高度と雲を構成する氷結の向きが条件みたい。
で、なんでこっちはまっすぐなん?
……それはちょっとわからへんけど。
あかんやん。
せやけど、なんで気分良く終わらせてくれへんの?
気になるやん。
ならググれや。
はい、というわけで、この辺で音楽かけまーす。

おかもとは音楽をかけると同時に笑い出した。
「せっかくいい感じやったのに」
「気になったんやから仕方ないやん」
「まあまあ、良かったんちゃいます?テーマ1すっかり飛ばされたけど」
「それな。先言っとけよ」
「たまには話したかったんやん。というかミステリ書こうとしてるんやけどネタが思いつかなくてね、できればみんさんから集めたいとかいう下心があったわけやけども」
「それ言っとかなあかんやん」
「まああとで言いましょに、それ面白いですやん。ミステリっぽいネタ集めて三人で謎解きするの」
「ああ確かに。安楽椅子探偵的な」
「あーええかもな。安楽椅子探偵ねじまきねじお」

という感じで

ラジオ探偵ねじまきねじおを誕生させて活躍させたいわけですが如何せん謎とトリックを作るのが難しい。

ミステリの練習をしようと思ってるのでよかったらお付き合いくださあい。

幕を上げる

幕を上げる

 悦子へ

 突然のお手紙に驚かれたことでしょう。私たちが連絡を取り会わなくなってから、ずいぶんと長い時間が流れたような気がします。けれど、実際にはたった数年。私たちが出会う前に流れた時間のほんの三分に一ほどでしかないのですね。私たちはたった一夏でお互いのことを一番信頼するようになったのですから、会わなかった時間など関係ないと思います。

 悦子の結婚式からもう干支が一周したということに驚いています。あの頃は素直に祝ってあげられなくてごめんなさい。私の頑固なところを分かってくれる悦子には今までとても助けられてきたのに。それでも悦子は、演出家はそれくらいじゃないと、なんて言って笑ってくれましたね。女優と演出家、お互いに面倒な人間同士でよく友達になれたなって、今でも思い出して笑ってしまいます。

 要件の前に、いくつか私たちのことを報告させてください。悦子なら、優柔不断な私のことを許してくれるよね。まず、がるるの子供が中学受験に合格しました。前に悦子が会った時はまだ小学校に上がったばかりじゃなかったかな。すごいよね、あのがるるの子がだよ?「トンビが鷹を生んだか」なんてゆっこが言ったらさ、がるるは「鷹どころかファルコンだよ」なんて笑ってるんだから、相変わらずです。ところでファルコンってハヤブサのことだよね。鷹とハヤブサ、どっちが上なんでしょうか。そんなことを尋ねたらきっとがるるは「ファルコンの方がかっこいいじゃん」って拗ねるだろうから言わないけどさ。

 そうだ、明美ちゃんの高校の演劇部がついに地区大会で優勝したんだよ。私は見に行けなかったんだけど、がるるが「感動した!」って騒ぎっぱなしで大変だった。がるるが言うには私たち越えられちゃったらしいよ。若いってやっぱり羨ましいね。でも私たちだって、あの頃できる最高の舞台ができたと思ってる。それはいつまでも私の誇りです。明美ちゃんはいい先生だよ。女の子たちはみんな明美ちゃんに憧れて先生になるって言ってるみたい。そこで女優になるって言ってた悦子やゆっこはやっぱり頭がおかしかったんだなって再確認できました。

 ゆっこのことは、私から改めて報告しなくても知ってることが多いんじゃないかな。あの子は歳を重ねるごとにますます綺麗になっていきます。最近は若い子たちにキラキラした主役の座を奪われたって嘆いてるけど、本当は今とっても楽しんでると思う。役の幅がどんどん広がって、もう日本には欠かせない女優って言ってもいいんじゃないかな。この春に始まるドラマにも出てるから、旦那さんと一緒に見てあげてね。甘えん坊なところは今でも変わらず面倒くさいけど。それと、そろそろ結婚したらいいのにって思うんだけど、まだまだ恋がしたいんだって。

 私は、まあなんとか、赤字を出さずに頑張っています。劇団の運営は難しいけど、やっぱり演劇は楽しい。どこまでいっても、まだその先がある。完璧だって思った舞台を、みんなどんどん越えていくんだ。私はそんな瞬間が見られてとても幸せ。もちろん、思うようにいかなくて辛いこともあるし、というか、そういうことの方が何倍も多いんだけどさ。当たると思った舞台は当たんなくて、ダメだろこれって脚本が当たることもある。なんであんな舞台が人気なのって思うこともあるし、自分なんかもうダメだって思うこともある。けど、やっぱり楽しいの。今この瞬間、自分たちが一番だって思える瞬間を知ってるから。どこまででもいけるって思う瞬間を、あの頃知っちゃったから、やめられないや。

 ねえ悦子、あなたは今幸せですか?こんなことを訊くのは、皮肉とかじゃないって分かってほしい。私が皮肉なんて言えるとも思ってないでしょ?まあ、私だってそれなりに歳をとって、そういう部分もなくはないんだけどさ。ただ、私はまた、あなたと舞台がしたい。

 今年の夏、新しい舞台があって、女優を探しています。脚本は、私たち劇団クローバーの、今じゃ伝説になってる初舞台を手がけてくれた、あの人だよ。プロとして、ゆっこと悦子が主演で、私が演出をした、最初で最後の舞台。ゆっこはもう予定を開けるよう事務所に言ってくれてあるって。私は、悦子のことを待っています。

 今でも、どこまでも一緒にいけると思ってるから。

 高橋さおり

 

 暖炉の火を見つめながら、悦子はしばらく何かを考えるふりをしていた。実際には自分が何も考えていないということを彼女自身は知っていた。それは彼女の癖のようなものだった。時間をやり過ごし、何も考えないようにするために、周りには何かを考えているようなフリをする。そうしないと、平穏で幸福な日常は、あまりにも長かった。

 手紙をそっと、暖炉の火の方へ近づけてみた。それを押し返すように、彼女の小さな手に、抗いがたい熱が伝わってきた。一筋の雫が音もなく彼女の頬を流れ落ちた。彼女は幸福なはずだった。立派な夫がいて、愛する子供が二人もいた。暖炉のある大きな家が一等地にあり、キッチンは誰もが羨むような大きさで、壁には彼女の趣味の写真が額縁に入れられて飾られている。彼女の考えでは、女として他に望むものなど何もなかった。それなのに、どうして自分は退屈なのだろう。全てを裏切るような自分の感情を、悦子はなんとか握りつぶそうとしていた。

 高橋さおりと、特に橋爪裕子の活躍は、テレビや雑誌で毎日のように目にしていた。初めは彼女たちが、かわいそうだと思った。いつまでも自分たちをさらけ出して生身で生き続けていては、本当に安らげる幸福を手にすることはできない。しかし、その幸福が、いったいなんだっていうのだろう。悦子は、そんなものよりも尊いものを、知ってしまっていたのだから。

 手紙をテーブルに置いて、エスプレッソマシンでカフェラテを落とした。静かな広い部屋に豆を挽く音が響き、また静かになった。ステレオから適当なジャズを流して、悦子は昨日撮った写真を眺める。赤いちゃんちゃんこを着た夫は、年相応に老けていた。しかしその目はいつまでもエネルギーに満ちていて魅力的だった。それでも、ただそれだけだ。

 その隣に写る上の子は、夫の魅力的な目を受け継いでいて、意志の強そうな鼻筋が年齢よりも彼を大人びて見せている。都立中学に通う彼は学年でもトップクラスの学力で、サッカー部でも一年生ながらレギュラーに入っている。ピアノも弾きこなす美男子の彼は自慢の息子だった。

 下の子は小学五年生ながら息子以上の落ち着きを見せる聡い子だ。場の雰囲気に合わせて明るく振舞うこともでき、悦子は娘に女優としての才能を感じていた。娘は接する相手の望むように自らの性質を変えることができるので、本当の彼女がいったいどれなのか母親である悦子にもわからなかった。器用になんでもすぐこなしてしまい、バイオリンの先生にもプロを目指すことを勧められているのだが、本人は何にも熱意を持っていない。冷たい子ではない。誰よりも優しく、誰のことも受け入れる。いじめられている子がうちに遊びに来ることは昔からよくあった。けれど娘が本当に仲の良い子は誰かと問われれば、悦子には一人も思い浮かばないのだった。

 どこにでもありそうな家庭の不安はいくらでもある。子供の交友関係に進路、夫の体重と健康、親せき付き合いにご近所付き合い。最近特に話題に上がるのは地域のゴミ収集問題だ。しかしそんなことは暇な主婦のみなさんが勝手に議論してくれればいいと井戸端会議に参加しながら悦子はずっと思っていた。相槌を打ちながらもいつもどこか上の空。容姿のおかげか、ミステリアスか天然な奥様だと思ってくれているみたいだが、心の底ではそんな彼女たちのことを心底軽蔑していた。そして自分もそんな暇な主婦の一人だということを考えると、心底自分が嫌になるのだった。

 何歳になっても人間は何が正しいのかはわからない。人生は選択の連続だというのに、その答え合わせをするには時間がかかりすぎる。そしてその頃にはもう引き返すことはできないところまで来てしまっているのだから、神様は残酷だ。

 けれどさおりは、そんなことないって言うのだろう。そう思って悦子は笑った。この世界を諦めた悦子とは違い、さおりは未だにこの世界のことを信じているのだ。これからもう一度舞台に立つなんてことは、悦子には考えられないことだった。今更人前で恥をかくなんて、死んだ方がましだ。そして何より、旦那に恥をかかすわけにはいかなかった。

 旦那と出会ったのは、さおりが劇団を立ち上げる前年のことだった。悦子は当時所属していた劇団の公演で舞台から落ちて大怪我を負った。その時の手術を担当したのが彼だった。自分の倍ほどの年齢だった彼と話すうちに、悦子は自分の世界がどんどん広がっていくことを感じた。彼は悦子の知らないことをいくらでも知っていて、知らない場所に何度も連れて行って驚かせてくれた。知的で包容力があり、何よりもエネルギッシュな彼に、悦子が恋をするまでにはそれほど時間がかからなかった。一年後、さおりと劇団を立ち上げ、初舞台を成功させた時には、彼女はお腹に新しい命を宿していた。有終の美を飾り伝説を作るように悦子は引退して結婚し、それからずっと良い妻として夫を支え続けた。舞台に焦がれる夜はあったが、彼女は小さな子供の手を握ることで心の底から満足を得ることができた。これでよかったんだと、何度も自分に言い続けた。

 子供が彼女の手を離れ始めると、悦子は自分の中の空白から目を逸らすことを意識しなければならなかった。それは学生時代からずっと彼女の中にあったものだから、目を逸らすことはそれほど難しいことではなかった。感じないように、考えないようにすることに彼女は慣れていた。しかしその空白が何をできるのか、彼女は知っていた。その空白自体ではなく、知っているということが彼女の苦しみだった。

 ピアノに近づき、ポロンと鍵盤を鳴らしてみる。音が彼女の中で反響し、彼女の空白を震わせる。息子が小さかった頃、一緒に練習した優しい曲をゆっくりと弾く。幸せの記憶で胸の中を浸すように努める。しかし彼女は混乱して何も思い出すことができなかった。新婚旅行で行ったヴェネチアの景色さえ、自分の記憶だという実感を持つことはできなかった。まるで誰か知らない他人のつまらない幸福の物語を見せられているように、彼女はそこに何の感動も持ち合わせなかった。

 その脚本を見つけてきたのはゆっこだった。悦子の知らない名前の脚本家だった。どうやら売れない小説家が賞に応募して落選したドラマ脚本らしく、彼女がその名前を知らないのも当然だった。しかしゆっこの押しに参って読み出したさおりはその物語に強い印象を受けた。脚本としてはお粗末なものだった。しかしさおりはそれをどうにか舞台の脚本に直したいと言い出した。悦子は劇団クローバーの初公演がどこの誰だかわからない脚本家のもので行われるのに反対だった。しかし悦子が反対した時ほどそれを覆そうとさおりはいい仕事をしてくるのだった。

 タイトルは「ドュ・ユ・ワナ・ライブ?」というもので、どこにでもいるような五人の女の子がアイドルを目指し、何度も壁を乗り越えて最後には国立競技場の舞台に立ち、五万人の前で笑顔の天下を目指すことを宣言するという話だった。さおりが直した脚本では、等身大の五人の女の子それぞれが汗と涙にまみれながら自分たちで道を切り開いていく姿が実に印象的に描かれていて、悦子は首を縦に振らざるを得なかった。どこにでもいるような女の子たちは物語が進むにつれ、ひとりひとりがかけがえのない存在に成長していく。悦子はその五人のことを「奇跡の五人だね」と言って笑った。

 しかし制限のない小説ではなく、時間と場所という制限のある舞台でその物語を再現するのは至難の技だった。悦子とさおりとゆっこは毎晩のようにさおりの家に集まって議論を重ねた。キャスト、衣装、舞台装置、劇場、考えなければならないことは山ほどあり、その困難の険しさは彼女たちが表現しようとする物語ともリンクしていた。しかしその過程は苦しいものではなく、悦子の人生で一番楽しい時間だった。何度も喧嘩しながら自分たちで作り上げていくその世界への想いは愛と呼んでもよさそうだと思った。

「ねえ、このセンターの子さおりっぽくない?」

「あー確かに。じゃあこれはさおりで」

「ちょっと待って、あたしは演出家だから!舞台には出ないって!」

「でも予算そんなにないでしょ?」

「そうだけど、その子ほとんど主役じゃん!」

「でもこの子は自分が主役なんてこれっぽちも思ってないんでしょ?さおりがト書きにそう書いてるじゃん」

「そうだけど」

 さおりのマンションのベッドに三人でひっついて横たわりながらそんなやりとりをした。さおりは結局いい役者を見つけてきたので舞台に上がることはなかった。そのことでゆっこは随分拗ねていたが、役者としてはプロなので稽古場ではさおりの言葉にきちんと耳を傾けた。さおりがあてがわれそうになった役をこなした女優は、それからゆっこと共に大きな注目を浴びることになり、今は朝ドラで活躍している。ゆっこは未だに彼女ととても仲が良く、公式Instagramにはよくツーショットが投稿されていた。

 悦子は劇団クローバー初公演の映像を見返しながらそんなことを思い出していた。あの頃は人生の全てが演劇の中に浸されていた。生きるということ全てが演劇に繋がっていた。空も、風も、太陽も、全てが彼女を浮かび上がらせる演出に過ぎなかった。何もかもを失っても、自分がこの世界に残っていればそれでよかった。そんな傲慢さが女優には許されていた。そしてそれが怖くなっている自分がいた。夫との関係はさおり達にも打ち明けることができなかった。彼女は妊娠を知った時、自分が心底愛してるそんな人生から逃れられるということに安堵した自分を感じたのだった。だからもう、続けられなかった。

 それなのに、さおりはもう一度あの舞台に戻ってこいと言うのだ。なんて勝手で残酷なことを言うのだろう。悦子の恐怖を見抜き、それを理解してなお、さおりは彼女に手を伸ばすのだった。

 あなたは今幸せですか?そう問われれば、悦子は迷わず幸せだと答えることができた。そしてその答えには周りの誰も疑問を抱かないだろう。しかしさおりは、そんな悦子の胸の中で何かがきゅっと軋む音を聞き分けることができた。夫も子供も気づかないその音を、演出家の彼女は鮮明に聞き取ることができるのだった。演出家には敵わない、と思いながら悦子は映像を消した。

 旦那に相談してみようかと思ったが、そんなことをしても仕方がないとわかっていた。全ては自分が決めることだった。さおりと出会った高校生の頃から、舞台の幕は上がっていた。それを下ろしたのは悦子自身だった。だからもう、誰も幕を上げてはくれない。その先の世界を見たいのならば、悦子は自分で幕を上げなければならなかった。さおりは、彼女にそれを求めていた。舞台で演じるのは演出家ではなく役者だ。そこで物語を紡ぎ出すのは脚本家ではなく役者だった。舞台では誰も助けてくれない。自分だけを頼りに世界を生み出さなければならなかった。その世界は役者のものだ。だから、自分で決めなければならない。

 悦子は手紙を掴むと、コートも羽織らず外へ飛び出した。彼女の耳にはもう満場の拍手が聞こえていた。想像してしまったのだ。だからもう、悦子の負けだった。さおりのせいだ。この世界を舞台にどこまでも生きていきたいという欲求を、これ以上抑えることはできなかった。たとえその選択が間違っていて、いつか後悔する時が来ても、それは今ではないのだから。そして人は今しか生きられないのだから。今を蔑ろにしないように、今を全力で駆け抜けたいと、悦子は強く思った。さおりが昔こんなことを言った。

「世界を救うのは、きっと、いや絶対、馬鹿なやつだよ」

 三人で笑って、そんな馬鹿になりたいねと話したことを、悦子は忘れていなかった。

ひとこと

随分と説明不足ですが、これはももクロ主演の映画「幕が上がる」のその後の物語です。

自由

自由

自由という言葉は、たしか福沢諭吉が訳したんだっけ。自らに由る。

ところで、自らって、なんだろう。

それがわからないのに、どうして自由なんて言葉を好きになることができるのか。

そこら中にある自由。どんどん世界は自由になる。けれど、本当に?

自由という言葉の意味が、僕にはよくわからない。

安楽死についての小説を古市さんが書いた。僕は読んでいない。

自己決定権と、日本に蔓延する自由は、少し違うものなのだろう。

自由を求めるが、責任は持ちたくない。

けれど海外でだって、人々の声で、いろんなものが規制されていく。

自分で決めることができないから、そもそも禁止してしまう。

問題を自分でどうにかするのではなく、問題自体を無くしてしまう。

それで、いいのだろうか。だれがそれを正しいと決めたのだろう。どうでもいいけど。

弟は、自分の正しさを主張することにムキになっている。

普遍的な正しさなんてものは、この世界に存在するのだろうか。

道徳的な倫理観は存在する。けれどそれだって、環境によって変わる気がする。

僕らは何を信じればいいのだろう。

自らに由る。僕はどこにいるのだろう。僕は何に由ればいい?

正しく生きることが、果たして正しいのだろうか。

正しく生きて、自らの望むものを得られず、それで、満足して死ぬことができるのだろうか。

綺麗に生きて、他人に誇れる死を迎えても、それは幸せだろうか。

自由に生きたい。けれど、自由の意味がわからない。

何にも満足を覚えることがない。自分が何を求めているのかわからない。

助けてほしい。しかし、誰に助けを求めればいいのかわからない。

何から助けられたいのかわからない。

けれど、もう自分ではどうしようもないと思っている。

何を言いたいのだろう。物語を綴ることで、僕は何を伝えたいのだろう。

僕は、救われたいのだと思う。しかし、何から?

どうすれば、救われたと思うのだろう。

愛されたい。そのために価値を示すことはできない。愛されない。

愛するとは、どういうことだろう。どうすれば愛されるのだろう。

何も必要ないといいなと思う。都合がいい話だ。

愛してくれたなら、僕はここから歩き出すことができる。

けれど、ここから歩き出さなければ、愛されることはないだろう。

何の担保もなく、信じてほしい。そんなことは、ありえないのだろう。

自由に愛することは、できないのだろう。自分なんて、誰も知らないのだから。

人間が最も論理的に思考する方法は、比較することだと何かで読んだ。

自らに由るなんて、信用ならない考え方なのだろう。

正しくなくてもいいと、僕は思うのだが。

間違っていても、自由に愛することができれば、いいのにな。

王様は死んだ。僕らは自由だ。それでも、王国は続いていく。

I wanna be free