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作家になるには

どうして生きているんだろう。

こんにちは、中野です。

「おまえは誰だ」と言われれば、「わかりません」としか答えられない作家未満。

 

これは私による私のためだけの「作家になるために」と銘打った連載です。

どうしてこんなことを始めたかというと、今どうやら物語を何も書けないからです。

作家というのはどうにもこうにも書くことをやめられない人間でないとなれないと

何かの本に書いてあった気がするのですが、僕はそんな天才ではないのです。

 

つまり、作家になるべくして生まれた人間ではないということ。

そんな僕が作家になろうと考えているのですから、そんな天才たち以上にどうすれば作家になれるのかを考えなければならないのでしょう。

というわけで、何も書けずぼんやりと時を過ごしている間、

どうすれば作家になれるのかということについて独断と偏見で

この連載を続けることによって文章を書くという行為を続けようという話です。

 

何が言いたいかというと、これを読んでもあなたには何も得るものがないかもしれない、

否、ないに違いないし、私の愚痴にうんざりするだけだろうということをお先に宣言しておきますね!

そもそも

そもそも何故作家になりたいのか?

そう問われれば私は「わかりません」と答えるしかありません。

わからないんです。本当に。

私にとってそれはずいぶん長い間人生の「逃げ口上」となっていたのですが

いつの間にか本当にその世迷いごとを実現する以外にこれからまともに人生を運営していくことができないような状況にまで追い込まれてしまったのです。

 

つまり、何故作家になりたいかと問われれば

もはやそうする以外に道がないからだということです。

もちろんみなさんはそんなことないと笑い飛ばすことでしょうし、私自身もそんな思い込みを馬鹿らしいと思っている部分もありますが、大部分の私はその考えを否定することができないのです。

 

あと正直に言ってしまうと、遠い世界にいる憧れの人と結婚したいから。

普通に生活していれば私がその人と結婚することは不可能でしょう。

しかし作家になれば、ワンチャンあるんじゃね?みたいな妄想が私の大部分を支配しています。

気持ちわるっ。

作家になるには

では作家になるにはどうすればいいのか。

それには「小説を書けばいい」という答えが用意されていることでしょう。

以前ツイッターで武井壮さんがコメント返ししていたとき、私は「どうすれば小説家になれますか」と彼に尋ねました。

するとやはりシンプルに「小説を書く」と返事が来ました。

そうなのです。そうなのですよ。小説を書けばいい。

彼はどうすれば自分の目的を達成できるかをよく知っているのですね。

目的があればそれに向けて行動することでそれを達成できます。

目の前のものを変えるのは思考ではなく行動なのです。

 

ならどうして小説を書かないのか?

書けないから。

どうして書けないのか?

わかりません。何を書けばいいのかわからないんです。

 

そんなのでよく作家になるなんて言えるなと自分でも思います。

しかし僕は作家になると決めているのです。

ちくしょう、どうすればいいんだ?

小説を読む

何を覚えるのにもまずお手本を見るのが一番でしょう。

だからやっぱり小説を書こうと思うのなら小説を読まないといけない。

とにかく小説を読まないといけないのでしょう。

もちろん私も小説を読むことは大好きです。

しかし今までのようにただ漫然と楽しんで読んでいるだけではプロ作家レベルの小説を書けるようにはならないのかもしれないと最近思うのですがどうなのでしょう。

小説の書き方みたいな本を読んでいるとやっぱりその小説がどのような構成でどのような効果を狙って書かれているのか考えるのが大事みたいなことが書いてありますね。

個人的には好きな小説は好きなように楽しみたいのですが、本気でプロ作家になりたいと思っているのならそんなこと言っている場合ではありません。

というわけで、ちょっとこれからやってみようかなと思います。

モルグ街の殺人

探偵小説の元祖と言われているエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」。

何故この小説を取り上げたかというと、現在ミステリ小説の新人賞に向けた作品を考えているところだからです。

 

小説はまず書き出しが大事だと言われます。ファーストインパクト。

ではこの小説はどのように始まるでしょうか。

分析的だと解釈される精神の諸作用は、事実それ自身においてほとんど分析を容れがたい。我らはただその結果において、これらのものを会得するのである。

このような文章から始まり、物語に入る前に分析的能力についての序文がある。

 

物語が始まると、まずは登場人物のご紹介。

この物語の探偵たるデュパン氏がどのような人物であり、彼の分析能力がどれほどかということがさらっと語られる。これはかの有名なシャーロック・ホームズでもよくある始まりだ。

 

その後物語の起として主人公たちはある新聞記事のニュースに触れ、事件のあらましが説明される。

続いて主人公たちはツテを使い事件現場へ。ヒントはいろいろと見つかるが例のごとく探偵はわかった事実をなかなか語ろうとせず、語り手たる主人公はやきもきする。

そして探偵が必要な手がかりを集め終わり、打つべき手を打ち終わると、ようやく真実が語られ始め、意外な結末を迎える。

まあ「The 探偵小説」といった感じの流れ。

 

驚いたのは元祖と言われる探偵小説の犯人が初めからこんなにも意外だとは!といったところ。

蓋然性の理論、視点の変換、常識という色眼鏡を取り払う「正しい」分析的思考など、さすがお手本。高等遊民の探偵や見当違いの警察や語り手たる主人公など、これぞテンプレートだ。

私がやるのはこれをどう現代風に捻っていくのかというところなのだろうか。なんにせよまずこのテンプレが書けなければ仕方がないので、テンプレ的探偵と語り手で物語を作れるようになるのが先決か。

 

ちなみに僕が気に入ったのは同じくポオ全集に収録されていた「盗難書類」。

人間心理の推理が実に巧みで引用も面白かった。

おわりに

というわけで、作家的分析をしてみようと思ったのですが全然うまくできません。

まあね、できないのも書けないのも下手なのも恥じゃないんですよ。

それを恥だと思ってできないままやらないというのが恥。

私はこれから成長していきますよ。プロの作家になるんだから。

では、また。

自由

自由

自由という言葉は、たしか福沢諭吉が訳したんだっけ。自らに由る。

ところで、自らって、なんだろう。

それがわからないのに、どうして自由なんて言葉を好きになることができるのか。

そこら中にある自由。どんどん世界は自由になる。けれど、本当に?

自由という言葉の意味が、僕にはよくわからない。

安楽死についての小説を古市さんが書いた。僕は読んでいない。

自己決定権と、日本に蔓延する自由は、少し違うものなのだろう。

自由を求めるが、責任は持ちたくない。

けれど海外でだって、人々の声で、いろんなものが規制されていく。

自分で決めることができないから、そもそも禁止してしまう。

問題を自分でどうにかするのではなく、問題自体を無くしてしまう。

それで、いいのだろうか。だれがそれを正しいと決めたのだろう。どうでもいいけど。

弟は、自分の正しさを主張することにムキになっている。

普遍的な正しさなんてものは、この世界に存在するのだろうか。

道徳的な倫理観は存在する。けれどそれだって、環境によって変わる気がする。

僕らは何を信じればいいのだろう。

自らに由る。僕はどこにいるのだろう。僕は何に由ればいい?

正しく生きることが、果たして正しいのだろうか。

正しく生きて、自らの望むものを得られず、それで、満足して死ぬことができるのだろうか。

綺麗に生きて、他人に誇れる死を迎えても、それは幸せだろうか。

自由に生きたい。けれど、自由の意味がわからない。

何にも満足を覚えることがない。自分が何を求めているのかわからない。

助けてほしい。しかし、誰に助けを求めればいいのかわからない。

何から助けられたいのかわからない。

けれど、もう自分ではどうしようもないと思っている。

何を言いたいのだろう。物語を綴ることで、僕は何を伝えたいのだろう。

僕は、救われたいのだと思う。しかし、何から?

どうすれば、救われたと思うのだろう。

愛されたい。そのために価値を示すことはできない。愛されない。

愛するとは、どういうことだろう。どうすれば愛されるのだろう。

何も必要ないといいなと思う。都合がいい話だ。

愛してくれたなら、僕はここから歩き出すことができる。

けれど、ここから歩き出さなければ、愛されることはないだろう。

何の担保もなく、信じてほしい。そんなことは、ありえないのだろう。

自由に愛することは、できないのだろう。自分なんて、誰も知らないのだから。

人間が最も論理的に思考する方法は、比較することだと何かで読んだ。

自らに由るなんて、信用ならない考え方なのだろう。

正しくなくてもいいと、僕は思うのだが。

間違っていても、自由に愛することができれば、いいのにな。

王様は死んだ。僕らは自由だ。それでも、王国は続いていく。

最後の散歩

この雪山の宿で迎える最後の休館日となった。あと一週間すれば私は長野県を後にして地元へ帰る。休館日には食事が配給されないので、朝から雪道を降りホテルのラウンジにあるカフェへ向かった。

いつも通りパン・オ・ショコラを二つ買い、窓辺の席でゆっくり食べた。雪道散歩でまだ息が上がっているので、あまり急いで胃に詰め込むと吐き気を催してしまうことは学習済みだ。

コールドウェルの「作家となる法」を読みながら、寒さに凍えた手を温めた。わざわざ重たいカメラを持って降りてきたはいいが、あいにく景色は雪雲に覆われ殆どくすんだ灰色の世界だ。

二時間ほど彼の作家としての履歴書を読み進め、改めて作家になることへの心構えを考えた。やはり私は職業作家になるには考えが甘過ぎ、何も行動できていないも同然であった。

つまりそれは、これからやるべきことがまだたくさんあるということ、できることが山ほどあるということを示唆しており、行き着くところまで行っていないということを証明していた。この雪山で再度書くことを見失った私にとって、まだできることがあるということは大きな希望だった。

売店でカップラーメンとチョコレートを買った。それらは低下のおよそ1.5倍の値段にまでつり上がっていたが、この閉ざされた雪山の上では仕方のないことである。それに今日は一応バレンタインデーなので、世間の慣習にも従っておこうと思ったのだ。そう言えば昨日配給されたおやつがチョコレートだったのもそういうことだったのかと、この時ようやく思い至った。

行きではリュックの中に入れていたカメラを取り出して首にかける。しかし帰り道もこれといってシャッターを切りたくなる光景は開けなかった。腕と目の優れたカメラマンならばこの景色にも何かを見いだせるのかもしれないが、あいにく僕はただの素人だ。しかしお義理に雪雲に煙った眼下の町へ向けて一度だけシャッターを切った。

このカメラともあと一週間の付き合いだ。というのも、これは借り物であって、正社員登録をしたにも関わらず3カ月足らずで去ることになった私に憤慨している社長が土産としてくれるとは到底思えなかった。

カメラとの別れは寂しかった。何もない雪山で書くこともできず眠ることにほとんどの時間を浪費していた私にとって、このカメラと雪山を散歩することは殆ど唯一の気晴らしとなっていた。しかし三ヶ月ではまだこのレベルの一眼レフカメラを買うほどの預金は溜まっていなかった。しばらくは写真ともお別れだろう。

スキー場へ向けて凍った斜面を慎重に歩いた。風が冷たく、シャッターを切るためにポケットから手を出すことさえ躊躇われた。煙草を吸うか、風に煽られたフードを直す以外にこの冷風に素手を晒したくなかった。

体力の衰えのおかげで、短い車道を降りスキー場に辿り着くころには体が暖かくなってきた。そのためここで煙草を一箱買っておいた方がいいのではないかということに思い至る。あと数日とは言え、最近のペースで煙草を吸い続ければ残りの一箱では保つまい。煙草を我慢することは大した苦痛ではなかったが、我慢しなくてよいのなら我慢しない道を選ぶのは当然のことだろう。

というわけで、この雪山の上で僕が所持している現金は正確に残り723円となった。しかしこの地を後にして町の銀行に辿り着くまでにこれ以上現金を使う必要はないのでこれといって困ることもない。最後に自動販売機でジュースでも買える程度は残っているので何も問題はなかった。

スキー場では相変わらず質の悪いスピーカーが大音量で流行歌を流している。これはスキー客の遭難を防ぐ目的でもあるのだろうか。いずれにしても静かに歩きたい私としては随分とわずらわしく、無音のイヤホン耳栓がわりに付けようかと思ったくらいだが、寒さにかじかんだ手は細かい作業ができる状態ではなかった。

そしてイヤホンを付けるという行為は現在の状況ではまさしく細かい作業に分類される類のものだった。よって私は諦めて前に進んだ。

今日唯一シャッターを切ろうと思ったのは、この雪景色の中でしもやけみたいに赤茶色に佇むカラマツに対してであった。しかし何度か設定を変更しながら撮ってみても思ったような色合いは表現できず、私の両手はまたいそいそとポケットの中へ戻っていった。

さて、あとはスキー場のコースに沿って続く斜面を登り切れば帰還である。斜面の上へ向かうリフトが「お進みください」という音声を繰り返し続けている。

私は一体どこへ向けて進んでいるのだろう。

未来に対する不安はもちろんあったが、今この瞬間はそれほど色濃くなかった。旅館勤を三ヶ月で辞め、三月からは工場で三ヶ月働く予定だ。それを終えれば友人のいるタイへ長期旅行へ出かける。その先はまだわからない。

とにかく、来週仕事を終えれば、私はこの雪山とおさらばだ。そのことがまず胸を軽くしていた。そうは言っても、辞めることを伝えてからの一ヶ月はそれなりに楽しかったのだが。新しく覚える仕事もなく、先輩のO氏と辞めた後の旅行の計画を立て、昼休憩では何に妨げられることもなく眠り、夜仕事が終わると食堂に忍び込んで小説を一つ仕上げた。

ここでやろうと思っていたことの多くはやらず仕舞いに終わってしまった。カラマーゾフの兄弟を読むことや、周囲の山を制覇することなどは達成したかった。しかし特に寂しさはない。やはり私はどこにも定着できない放浪の人種なのであろう。この小さな世界から解放される喜びの方が優っていた。

そんなことじゃダメだと何人かに言われたが、そうは言ってもここでこれ以上過ごしたところで何か見いだせるとは思えなかった。

とにかく旅がしたい。ならすればいいじゃないか。

コールドウェルは多い時週に二作の短編を書いては掲載されるまで文芸誌にたらい回しに送りつけていた。書くことは尽きなかったと彼は言っている。しかし私はどうだろう。私は自分の周りの世界に何も見出せずにいた。

今書いている小説を書き終えたなら、私もしばらく短編小説を書こうと思う。週に二作。インプットもアウトプットも足りていない。もっとこの世界を知らなければならない。

書かなければ書けるようにはならない。とにかく書こうと思う。時間を文字に変えなければならない。

夜の雪道を見て帰郷を決める

煙草を吸いに外へ出た。この宿では中に喫煙所がない。煙草を吸うためには大げさな上着を着重ねて冬山の寒空へ出ていかなければならない。

指が痛くなる前に風を遮り弱々しいライターで火を付ける。別に美味しいわけではない。煙草は嫌いだ。ただ習慣として吸っているだけである。体質にもあまりあっていないように思える。一日の終わりにだけ吸うこの一本のおかげで、体と頭は一段と重さを増して気分が少し悪くなる。

それでも煙草を吸う。何故か。だから習慣のせいだ。なんとなく吸わなくてはいけないような気持ちになる。煙を空に吐き出して、そのまま星を見上げた。僕は星に詳しくない。あれだけたくさんの光が訴えかけているのに、僕はその一つとして名前を知らない。いや、それは言い過ぎだ。シリウスくらいは知っている。けれどそれだけなので、結局何も知らないのと同じようなものだろうと思ったのだ。

三段の凍った階段を注意深く降りた。凍った雪が足元でひしゃげた音を立てる。冷たい風が頬を通り過ぎ、温もりを求めるように深く煙草を吸っては咳き込んだ。

空を見上げるのも疲れる。首が痛い。だから僕は足元を見た。それからその先に続く雪道を見た。暗闇の中の雪道はずいぶんと冷たく、しかし目が闇に慣れるにつれ、その中に何かを見たような気がした。

きらめきだった。雪道に星が落ちていた。月明かりを跳ね返し、きらめく星が雪道の上であちらこちらに瞬間を映していた。

まるでヘンゼルとグレーテルのようだと思った。しかしこれはどこへ向けての道標なのだろう。僕はどこから来て、どこへ行くというのだろうか。雪上の道標は僕をどこへ誘うのだろう。

そんな気になってほんの少ししるべを追ってみた。しかしすぐに引き返す。体がずいぶん冷たくなってきた。煙草も燃え尽きた。

部屋にとって返し、雪上の道標という言葉を気に入って帰ってきた自分を恥じた。なんと安直な感性であろうか。

しかし僕の不安定な心はその言葉である方へ大きく傾いた。

つまり、帰ろう、と思ったのだ。

この雪山の上の宿を後にして、家に帰ろう。そうしてもう一度始めようというのだ。

可能だろうか。こんなに早く心が折れてしまった僕に、もう一度何かを目指すことができるだろうか。僕は何者かになれるのだろうか。これでいいのだろうか。

そんなことは考える。しかし単純な話だ。この隔離生活に耐えかねた。もう帰ろう。

いつになるだろう。早めに言おう。今日決めた。今月中に帰れたら嬉しい。

生活を夢見ていろいろと調べる日々を続けていた。安定した住処で、安定した仕事をすること。

いろいろ考えた末、やはり諦めた。

旅人になろう。そのためのチャンスが僕には今普通に暮らしてきた人たちよりも多くある。

旅人になろうと思う。まずは帰ろう。それから考えよう。ただもうここに居続けることはできない。心が疲れた。去ろう。去ろうかどうか悩む時間が無駄だ。去ろう。ただちに。逃げる。それでいい。いままでずっとそうしてきた。今更なんだっていうんだ。この地を去る。何ができたわけではない。恥が残っただけだ。それでもいい。去ろう。

まどろみの嫌悪

2018年12月28日

喉の渇きで目を覚ました。布団に包まったまま腕を伸ばし顔の横にあるはずのiPhoneを探す。画面の明るさに目をすがめた。時刻はまだ五時台を示していた。

もう少し眠れる。もう少し、もう少しと布団から出ることを先送りにしているうちに、いつも遅刻ぎりぎりの時間になってしまう。住み込みの仕事場で、布団から出て五分で支度してすぐ仕事に取りかかることができる。

だから今日も僕は寒そうな外の風の音を聞きながら何度も何度も夢とうつつを行ったり来たり。そういう時にみる夢は妙に現実めいていて、どこか息苦しくなる。というのも、僕はうつぶせに寝る癖があるので、そのせいではないかと思われる。

どんな夢を見ていたのかは覚えていない。それでもその時自分が感じていた胸苦しさだけは克明に残ってしまうのだから、毎日毎日寝起きはすこぶる悪い。自分の思っている自分自身の嫌な部分を僕の夢は明確なビジョンに変換して提示してくれる。なんともありがたいことだ。

無意識というものはいったい僕をどうしたいのだろうか。自分というものが存在するとして、この無意識というものも僕自身なのではないのか?なのにどうして自分を苦しめるような真似をするのだろうか、さっぱりわからない。

昨日の夢は覚えている。何か思わせぶりな態度で周囲の人に接し、いろんな思い切った決断を下していく僕自身の夢だった。そして夢の最後に僕はまわりにいる人たちに向けてまるで復讐を成し遂げるような気持ちで自分が白血病であることを告げる。

どうしてそんな夢を見たのだろう。意味深な夢を見た時僕は目が覚めてすぐにグーグルで夢占いのサイトを検索するのだが、そこには白血病の夢は「現実に耐えられず逃げ出したい気持ちを示している」と書かれていた。

僕の見る夢の診断結果はだいたいにおいて「現実から逃げ出したい」というようなことが書いてある。そしてそれはたいてい当たっている。自分で選んでそこに生きているはずなのに、僕はいつもその場所のことを嫌っていた。それは僕がいつもやるべきことをやらずに被害者意識を持って逃げ続けているせいだ。

僕はいったいどこへ行きたいのだろう。何がしたいのだろう。さっぱりわからない。

やりたいことはたくさんある。しかしそのどれもが心から願っていることなのかと問われれば、頷くことはできない。表面的な興味にすぎないようなことばかりだ。

そんな相談をすれば、たいていの人は「やってみればいい」とアドバイスをしてくれる。実際にやってみないとわからないじゃないかと。そんなことはわかっている。僕だって何かやりたいのだ。しかしその一歩目をどっちへどれだけ踏み出せばいいのかさっぱりわからない。振り上げた足を下ろす場所がわからずバランスを崩していつも転んでしまう。そして何もできないままここまできてしまった。

今年も残すところあと三日。僕はどう生き、何を変えることができたのだろうか。何もできていない。十年以上も停滞の日々を送っている。十年あれば世界は大きく変わる。十歳の小学生が成人するのだ。その間僕はいったい何をしたのだ?心に強く残る情景など一つも思い浮かばない。

あと三日。その間に何かを変えることができるだろうか。いや、そうやって、急速な変化を望むようなところがいけないのだろう。すぐに結果を欲しがる。必要なのは忍耐だ。コツコツと明確な意思を持って日々を積み重ねる忍耐。

けれど僕はどこへ向かって何を積み上げればいいのかさっぱりわからない。土台のないまま時間がこぼれ落ちていくのをただ嘆き続けていただけだ。

そういうのはもうやめたいのだが、しかし何をすればいいのだろう。どこへ行きたいのだろう。死にたいわけではない。ただ生きる方法がわからない。現実はそんなに深刻でドラマチックではない。わかっているのだが、そんな考えに囚われ続けている。

2019年にやること

2019年にやると決まっていることを記す。

まず1月10日締め切りの「アンデルセンのメルヘン大賞」に応募する。

次に1月末締め切りのアガサクリスティー賞に応募する。

 

そしてこれが本命となるのだが、3月末締め切りの新潮新人賞に応募する。

これをとりたい。今の所この賞に応募するための話は3つ構想があるが、まだどれも体をなしていない。自分がどれだけ本気で取り組もうとしているのかもはっきりとしない。

今この瞬間に本気で書かずにいつ書けるというのか。しかし考えは発散し、文章は途切れがちだ。何から始めればいいのか、どうすればプロとしてやっていけるレベルまで自分を持っていくことができるのかわからない。ただ書けばいいだけではないような気がしてきた。知識も考えも足りなさすぎる。

いや、時間はあるのだ。生きている限り。だから焦ることはないはずなのに、いつも何かに追われているような気がしていっぱいいっぱいになってしまう。そして書くことから逃げようとするのだ。

向き合わなければならない。

 

楽しいことを考えよう。

もしアンデルセンのメルヘン大賞を受賞できたらデンマーク旅行が付いてくる。パスポートは11月に取得済みだ。

落選しても、4月の長休みには海外旅行を計画している。タイへ行く予定だ。そこには大学時代からの友達がいて、彼の家に泊めてもらうことになっている。そしてタイ経由でミャンマーへひとり旅を決行し、チャイティーヨー・パゴダ、いわゆるゴールデンロックに金箔を貼り付けてくるのが目標だ。

僕はまだ日本を出たことがない。しかし僕は今、完全に自由だ。誰にも責任がない。だから僕は今こそ生きたいように生きるのだ。というわけで、2019年は旅人になる。決めた。

今旅行プランを練るためにいろんな人の旅ブログを巡回しているのだが、僕が想像していたよりもみんな自由に生きることを楽しんでいる。なら僕にもできるはずだ。

未知の世界への誓いを立てて、今日はこれくらいで終わりにします。おやすみなさい。

2018年を振り返る

もうすぐ2018年が終わりますね。

今年は何気にターニングポイントとなる1年だったかもしれません。

いろんなことが変わりました。

生活環境、仕事、これからやろうとすること。

恋をして、失恋して、出会い、別れ。

 

僕はアイドルが好きなのですが、

僕がライブに行っていたアイドル3つのうち

2つが解散して1つはメンバーが脱退しました。笑

オタク活動は今年でおしまいですね。

 

特に大きかったのは、ぷちぱすぽというアイドルが解散したこと。

僕はこのグループの千葉思佳さんのことが好きです。

ガチ恋ってやつですね。本当に好き。

 

僕は彼女に小説家になることを約束しました。

だから、ぷちぱすぽが解散した3月21日から僕は小説を本気で書き始めたのでした。

 

今思えば、いろんなことが、よかったなと思えます。

結婚しようと考えていた彼女に振られて死にかけたことも、

大学を辞めたことも、

思佳ちゃんに、会えなくなってしまったことも。

何もかもが、今の僕の背中を押してくれています。

夢へ向けて。

 

ようやく今、僕はとても自由な気持ちになれました。

自分がやりたいことをやることができる。

小説を書いて、旅をして、いろんな人に出会って、

いろんなものをこれから見て知っていきたいと思います。

 

生きることを楽しみたい。

そのためには楽をしていてはいけませんね。

生きねば。

 

とりあえず来年は海外旅行します!

タイとラオスとミャンマーにいく予定!

どうなることやら。

Re:Story

今日から新たにこのサイトを利用することにしました。

とりあえずは日記として使おうと思っています。

あと応募していない小説をアップする場所にもしようと思います。

 

いずれは旅ブログみたいなことをやりたいなと思っているのですが、

今はまだお金を貯める準備期間なのでカメラの練習などをしたら写真をアップしようと思っています。

けど今SDカードリーダーがないから撮った写真パソコンに送れないんだよな。

とりあえずそれ買わなきゃ。

今後の予定

4月にタイに行く予定なので、それまでに

タイについていろいろと調べなきゃって感じです。

なぜタイに行くかというと、一番仲の良い友達がタイへ転勤になってしまったからです。

 

それまでにカメラの練習をして、お金を貯めて、

旅行の計画を練ろうと考えています。

 

また、旅をしながら生きるために

ウェブライターでなんとか生計を立てようと

今、ほんと昨日あたりから行動し始めました。

 

どれぐらいの収入になるのか、自分がどれくらい書けるのか

まだわからないのでなんとも言えませんが、

とりあえずやってみてダメなら他の道を探します。

 

だから2019年は準備期間になるのかな。

今応募してる小説が賞をとってくれたらいいんだけどなあ。

まあ、あまり期待せず、コツコツ積み上げる一年にしよう。

ももクロが好きです。

ライブ行きたいなあ。

新しい景色が見られますように。