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平成ペイン2

 僕は高校生まで太平洋側の地元三重県で暮らし、大学進学に伴い日本海側の福井県福井市に引っ越してきた。この地で夏を迎えるのは今年で三回目になる。太平洋側で暮らしてきた僕のイメージでは北陸といえば雪。冬こそ厳しいけれども夏は涼しく暮らせるのではないかと世間知らずに思っていたのだが、日本の夏の暑さはどこでもたいして変わらないみたいだと今のところ思い知らされている。違いといえば三重県にいた頃はほぼ毎年台風の影響を大きく受けていたが、こちらではそれほど大きな被害はないことか。その代わり福井の空はだいたいいつもどんよりとした曇り空で、今日はいい天気だと思って朝から気分良くしていると、お空は「油断したな」とほくそ笑みいたずらにゲリラ豪雨を食らわせてくる。

 森さんは二つ上の先輩で、一年生の始め大学の寮で同じ階に住んでいた頃から裸の付き合いをする仲だ。間海という割烹料理屋のバイトも森さんに紹介してもらってから今までずっと続けている。間海というのは「まがい」と濁って発音するらしい。由来はみんなからマスターと呼ばれる店主の苗字で、マスター曰く福井のある地域には多い苗字らしい。僕は中野という随分とありふれた苗字なので正直羨ましい。真という名前は、名が体を表すかどうかは別として、それなりに気に入っていたりするのだが、中野というのはあまりにも凡庸すぎはしないか。たとえば間海真ならば頭韻を踏んでいるし悪くない、と思ったのだが漢字で表記すると何か鏡文字のような違和感がある。おそらく左右対称の字で左向きの海が挟まれているのでおかしく感じるのだろう。左向きの海?それなら左という字は右を向いているように見えるし、漢字側から言ってという話になると右という字は左を向いていることになるではないか。結局世界は捉え方次第でどうとでも意味を変えるものなのだ。

 話は戻るが前述した小説「ハーモニー」で語られたユートピア的な啓発社会は結局僕が感じるような「気持ち悪さ」によって破滅へ向かった。そしてそれを感じる意識が存在する故に人は苦しむという考えから、脳内に侵入したナノマシンが全ての人から意識を奪い、無意識で生きることを実現した。そして人類はある種の恍惚感を伴う生を手に入れる。大雑把に言うとそんな物語。人はどこへ向かって生きているのか、僕の知りたい答えの一つがそこには記されていた。それが正しいのかどうかはわからない。そもそも正しいという言葉がどのような意味を持つのかすらわからない。誰にとって、どういう意味で、と定義づけをしないと議論はできないだろうし、同じ人間はいないのだから正しさの議論などはぶつけあっても意味を持たないだろう。しかし僕にとってそれはある意味では正しいような気がした。さらに言うと僕はそれに羨望さえ覚えた。

 考えるのは面倒だ。例えば、なぜ生きているのか。そんなことさっぱりわからない。ブルーハーツが「生まれたからには生きてやる」と歌っているのを僕は知っている。しかしその問いは消えないどころか僕を飲み込み動けなくすることがある。そんなこと考えたってどうしようもないとはわかっている。目の前のことに最善を尽くして今いる場所を少しでも良いものにしようと行動することしか僕らにはできない。僕らが生きることができるのは今だけだ。しかし「希望は過去にしかない」と誰かが言っていた。ではいつどこでどうやって生きればいいのだろう。

 考えるだけでは何も変えられない。僕はアインシュタインではない。平凡に達するか達しないかのボーダーラインに立つ、いくらでも代わりのきく社会の歯車になるべき平凡な大学生でしかない。そしてこの社会というものを支えているのはそんな未来の僕たちなのだろう。みんながみんなそんな社会というよくわからないものに生かされているのにそれのことを忌み嫌っているようなことを言う。そしてそれにすがり続けている。そんな矛盾した滑稽な姿を晒し続けていると、生きることがなんだか白けてきてしまう。社会から供給された電気の下で社会から供給された安全な水道水を飲みながらこんなことを書いているのだから僕が一番滑稽だ。そして今日も「世界はなぜあるのか?」などという本を買ってしまう。これがいわゆるモラトリアムというものなのだろうか。そんな小さな苦悩はありきたりでみんなが経験することでありお前は何ら特別ではないと証明するように、その本の冒頭にはこんな手紙の一文が引用されていた。

 すべてのことに理由と説明を見出そうとしないよう、あなたに本気で戒めます。すべてのことに理由を見出そうとするのは大変に危険で、何も功を奏しません。失望と不満が残るだけで、あなたの心は動揺し、最後には惨めな気持ちになります。

 結局わずか一頁めくっただけで揺らいでしまうような浅く低レベルの疑問でしかないのだ。しかしその疑問を引っ込めたからといってどう生きればいいのかわかるわけではない。自分が何を感じ何を求めているのかさっぱりわからない。みんなにはわかるのだろうか?みんなとは誰だ?自分以外の意識というものは本当に存在するのだろうか?そんなことを夜な夜な考え続けているうちに気がつけば日本海側で三回目の夏を迎えるにいたったわけ。その間に僕は何を学びどう生きてきたっけ?日本海は想像通りの荒波でサーフィンにはうってつけだが、僕はサーフィンをしない。スノーボードもしない。正直に言って、自分がなぜここにいるのかさっぱりわからなくなっていた。なのでそれを今一度思い出すために時間を巻き戻そう。今が七月だから、話は二年と三ヶ月ほど戻る。

平成ペイン1

 理由のない絶望、なんて書くとあまりにも大げさだが、対象のないこの苛立ち、焦燥感、息苦しさは昔からずっとつきまとっていた。目の前が真っ暗になる。足元が突然抜けるような感覚。そんなありきたりで被害者ぶったことを言うわけではない。もっと漠然とした、意識にのぼるかのぼらないかあたりにぼんやりと浮かんでいる赤い風船のようなものが、少しずつ心を侵食していく。ペニーワイズが、あのピエロが心の片隅に住み着いていて、得意げに風船を散歩させ、行く先々でマーキングする。少しずつ、しかし確実に、死への渇望を植え付ける。誰も君を救ってはくれないと。私が、このピエロが、この死のみが君を救うことができるのだと。初めは気にならない程度だったのに、一度意識すると我慢できないほど強く感じてしまう嫌な臭い。汚いトイレのタイルや浴室のカビのように、それを見て息を吸うことすら拒絶したくなるようなものがどんどんまわりに増えていく。意味があるのかないのかさっぱりわからないものに何の疑問も持たない社会に対する嫌悪感。それらは全て現実から逃げようとしている僕の言い訳でしかないのだろうか。理解されないと嘆くのは、理解されようという努力が足りないからなのだろうか。しかし水と油のようにこの世の中には相容れない価値観が確かに存在する。そして僕はいつもマイノリティで、だからきっと僕が間違っているのだろう。それが民主社会だから。

「逆なんだよな、順番が、だいたいいつも」

 露天風呂の岩に腰掛けて熱い湯に足だけ浸しながら森さんは言った。バイト帰りの深夜、極楽湯というたいそうな名前のスーパー銭湯に僕らはいた。夏のベタつく空気の中、魚臭い身体を清めるため三十分近く歩いて来た。さっぱりした風呂上がりにまた同じ時間歩いて帰らなければならないのが億劫だったのか、二人ともほとんどのぼせているのに帰ろうという気にはならなかった。湯船につかる足元でおもちゃの黄色いひよこたちが呑気に漂っているのを見つめながら僕は話の続きを待った。

「その気持ち悪さは確かにある。確かにあるけど、社会に出たこともない、まだ何も成し遂げたことのない学生の俺らがそれを言うのは違うような気がする。それを正しい意味で言うことができるのは、その気持ち悪いと思う社会をどうにかこうにか生き抜いた人たち、というか普通よりももっと上まで行った成功者といえるような人にならないとダメな気がする」

 そうなんだよな、と呟きながら、本当にそうなのだろうか、と心の中で再度問う。だって、成功者になったってことは、その気に入らない社会の中で力を示して、自分の思う何かを獲得するところまで進んだってことで、文句を言わず行動で示し終えたってこと。そこまで行ったのならもうわざわざ過ぎ去った世界に対して文句を言う必要もないのではないか?それにこの気持ち悪さを感じているのは今の僕たちなのだし。正しい立場で発言しようとするなら、その気持ち悪さは確かにそこにあるというのに、いつまでたっても言うべき人の口からは飛び出さないような気がする。それを言うことができる人はそれを言う必要がないところにいるのだから。かといってやはり今の僕たちがそれを言ってもただの言い訳でしかなく、結局誰がどう言っても滑稽になって本気で受け取ってはもらえない。それが現実を支配している社会というものの強さなのだろう。誰もそれを否定することはできない。

 別に死にたいわけではない。ただ生きる方法がわからないだけだ。社会が悪いわけではない。誰が悪いわけでもない。ただ、この痛みを誰かに知ってもらいたいだけなのかもしれない。ヘソの上あたりが不快に熱くなり胃が収縮するような。吐きたいのに吐くものがなにもない時のような。叫びたい衝動に駆られているのに叫ぶべき言葉が見つからず開いた口からただ深いため息をもらすような。理由なんてないから、それを取り除けば救われる類のものではなくて、その小さな不快感は死の原因に成り得る可能性を持ち続けている。一生治らない口内炎が一つずつ増えていくことに人は堪えられるのだろうか。

「とにかく、なんとか、気分良く生きたいよね」

「だね」

「んで、そのためにはどうしたらいいのかな」

 足で波を立ててひよこたちをあしらう。結局、と森さんは言った。

「目の前のことを一生懸命やるのしかないんじゃね?」

「んー、けどならもうちょっと遅くない?」

「んー」

「高校生ならまだしも、こんな地方の微妙な大学にいる時点で頑張ってもたかが知れてるみたいなところない?」

「そこ。そこが中野の悪いところ。なんだかんだ言って結局この社会に囚われてる。小さな世界から飛び出せない」

「飛び出し方がわからない。その力がない」

 結局、僕はその程度なのだ。その諦観と無能力がつまらない理由だろう。いつからだってどこからだっておもしろく生きられる人はいるのかもしれない。けれど僕にはその方法が全くもってわからない。そしてそれは誰も教えてはくれない。今を楽しめないなら、結局どこへ行って何をしても文句しか言えないのかもしれない。やりたいことをやれ、といろんな人が言うけれど、やりたいことが何なのかわかっているならばこんな苦痛に生きてはいない。漠然とやりたいことはある。絵の練習。ピアノが弾けたら。自転車で日本一周。海外も旅したい。英語とスペイン語を話せるようになりたい。プログラミングも学びたい。友達と起業したい。正直に言うと、何だってやりたいんだ。つまり、何もしたくない。どれもこれも本気ではない。なんとなく、ふんわりと脳裏に浮かぶだけで、子供の落書きみたいなもの。

 自分の欲望がわからない。そして、他人の欲望がわからない。当たり前のように日々を生きている人たちに驚く。道ゆく人たち全員に問いかけたい。あなたはどうして生きているのですか?何のために?どこへ向かって?たぶんきっと間違っているのは僕で、正しいのはこの社会なのだろう。そう思わないとやりきれない。

「なら力をつけよう、とはならないの?」

「何の力をつけたらいいんだろうって迷路が始まるから」

 なるほどうぜー、と森さんは笑った。

「結局最強は物理だろ。まず筋トレしろ。パワーイズチカラ」

「そのままやんけ」

「名言やろ」

「誰の?」

「俺」

 意味もなくハイタッチして僕らは脱衣所へ向かった。残されたひよこたちはいつまでも無表情で湯船の中を漂っている。その世界に満足して何も考えず無意識的に生きることができれば、それが一番幸せなのかも知れない。そう思ったのは伊藤計劃の「ハーモニー」を読んだばかりだったからで、僕自身の考えなんて突き詰めていけばどこにもないのだろう。そもそもこの「僕」というものは本当に存在するのだろうか?

ラジオ探偵シリーズ0

ラジオ探偵ねじまきねじおの誕生

はじまりましたーねじまきラジオ、おかもとです。
もりです。
いやあ、誰が聞いてんだって感じのこのラジオですが、どうですか?
楽しいね。思ったより再生数があるみたいで。
そうそう、前回も百回くらい再生されてるみたいで。ちょっと慣れてきて再生数まで気にし出してね。
この話ちょっと長いなとか反省会始めたり。
プロ感出してね。ほんとおまえら誰やって感じやのに。
ほんとに。もりさん自分で何回も聞いて再生数稼いでないですか?
正直何回か聞き直してるから十回くらいは僕のクリックかもしれん。
僕も確認のために何回か押してるんでねー、実際どれくらいの人が聞いてるのかちょっと心もとないですねー。さて、日々まわりでミラクルが起こることで有名なもりさんですが、最近はどうですか?
最近ねー、これはちょっとインパクト薄いんやけど。
お、それでも毎週何かしらあるんですね。
昨日ちょっと気分が落ち込んでてね、湯船に浸かりながら長渕剛のトンボを歌ってたわけですよ。
おお、気分が落ち込むとお風呂でトンボを歌うんですね。その時点でやっぱちょっと変な人だわ。
それも熱唱ね。それでまだ歌いながら気分良く出てきたわけ。
ほうほう。まあここまではいつも通りのもりさんということで。
ほんでテレビつけたらちょうど。
ちょうど?
テレビの企画で長渕剛のトンボを歌いきれってのをやってるんさ。
おほー、見事にシンクロしてたわけですね!
まあ、そんくらいかな。たいしておもしろくなかったね。
いやあ、家の中でトンボ熱唱してるあたりでもうおもしろいですよ。
それ僕がただの変人ってだけちゃう?
それはそうやからええやん。
お、なかのさんがようやく一言発しましたー。ここで1曲、みんな大好き「オムライスのうた」を今日もかけさせてもらいます。

収録が途切れると共になかのは大きなくしゃみをした。薬局の受付をしている彼の母によればようやく花粉症の患者数が減り、仕事が楽になってきたところなのだが、それと入れ替わるように彼は花粉症を発症した。
「なんで今更やねん」
「知らんけど。何花粉やろ」
「今だとヒノキとかじゃないですか?ちょっとトイレ行きます」
おかもとは鼻をかむなかのの近くにゴミ箱を移動させてから席を立った。
「そういえば昨日親が夜ご飯外に食べに行くって言うから車出したんやけどさ」
「また店閉まってた?」
「言うなよ。まあそうなんやけど。何回目やねんって」
「安定のパフォーマンスやね。てかそれラジオで話せよ」
「まあ話すことはいくらでもあるし」
「おお言うねえ。さすが一年で三回もフロントガラスに飛び石くらう男」
「四回な」
なかのはテーブルの上に山になりかけていた使用済みティッシュを丸めてゴミ箱に放り込んだ。
「そういやKくんがあんたの小説読んでえらい感銘受けてたで」
「おお、ほんとに読んでくれたんや。面白かったって?」
「後半涙が止まりませんでしたって言ってた。それであの子影響されて今小説書こうとしてるで」
「部活やめて時間できた結果それかあ、わし悪い影響ばっか与えとんな」
「ほんまに。まあ今度読んだってよ」
「ええけど、わしもまだデビューしとらん素人やけどな」
おかもとは戻ってくるとゴミ箱に溜まったティッシュを見て笑った。
「どんだけ鼻かむんですか」
「ごめんよ、ヒノキに文句言ってくれ」
「お、ちょうど曲終わりましたね」

えー、今日も聞いてもらいました、オムライスのうた。
オムライス食べたくなってもらって。
僕らは別に食べないんですけどね。ねじくれてるわあ。
それよ。さすがに食べろよなこんだけ使わせてもらって。おかもと君はいつも甘い系ばっかりやもんな。
そうですねー、オムライスやったらうちで作るしと思って。
まあそうやなあ。僕もピザばっか頼むし。
上にトマト乗ってるやつ。
トマト嫌いやからそれは全部なかの先生の方にどけるんやけどね。
激選した上でトマト乗ってるやつ選びますよね。
ね、なんでやろ。あれだけ悩んだくせに上にトマト乗ってるかどうかは見落とすっていうね。
用意周到なわりに。
大事なとこで気を抜くみたいやね。
大事なところで気を抜くなということを反面教師で示してるのかな?というところで、今日もテーマ1、いきますか。
あ、ちょっとその前にいいですか?
お、なかのさん、珍しいですね、なんですか?
ようやくこのラジオにもファンができたみたいで、メールが届いてたんですよ。
おお!それは嬉しい!
どんなメール?面白いって?
えー、読み上げますね。ペンネーム雨上がりさん。
決死隊かな?
えー、おかもとさん、もりさん、隠れキャラのなかのさん、こんにちは。
こんにちは!
こんにちはー。というか隠れキャラなんですね、なかのさんは。
いつもひねくれた日常会話、楽しく聞かせていただいてます。
ありがとうございまーす。
これは褒められてるんかな?
私はもりさんの不運話が大好きです。私もついてないと自分で思っていたんですが、私なんて目じゃないほどの不運の連続を笑い話にできるもりさんのおかげで希望が持てました。えらい大げさやね雨上がりさん。
僕らのラジオに希望を求めてる人もいるんですね。
ちょっと荷が重い気がせんでもないけど。みなさんの希望になれるようにこれからも頑張ります。
頑張って不運を集めますってことかな?えー、続けます。ところで昨日、子供にこんなことを訊かれました。お母さん、虹ってどうしてあんな形をしてるの?私はアーチ状の虹の形に疑問を覚えたことがなかったので驚きました。そういえばどうして虹はアーチ状なのでしょう。
お母さんなんですね雨上がりさん。それはねー、僕らに訊くよりもググった方がいいと思いますよー。
まあそうなんやけど、もり先生は子供たちを相手にしてるわけやん普段。もし訊かれたらどう返すんかなと思いましてこのメールを読ませてもらったわけですが、どうですか?
えー、地球が丸いから?
あー、なるほどね。地球の円周に沿って曲がっていると。実際どうなんやろ、虹が七色に見える理由なら説明できるけど。
お、さすがおかもと君。では何故虹は七色に見えるのでしょう。
あれは光の波長の違いですよね。太陽光はいろんな波長の光が混ざってて、それが重ね合うから白、というか透明に見えるけど、空気中の水滴で屈折したら、いろんな波長の光が屈折率によってそれぞれ別の角度に進んでいくんですよね。波長の長い光はちょっとしか曲がらんけど、波長の短い光はいっぱい曲がるから、長い赤とかは上になって短い青とかは下に、あれ、逆ですか?
逆やね。虹は太陽とは反対の方向にできるから、雨粒で反射した光を見てるわけ。てことは、光は入る時と出る時、二回屈折してるんやね。だからあんまり曲がらない赤色系が下になって、よく曲がる青色系が上に来る、でええかな?
もりさん正解。ただ質問は何故アーチ状なのかってことだから、そんなドヤ顔しなくていいですよ。
そうやったな。で、なかのさん調べてきたん?
一応調べてきました。何故虹がアーチ状なのか。虹は、僕らにはそこにしか見えないんやけど、実はそこら中にあるのかもしれんのやね。
え、どういうこと?
えっとね、虹がアーチ状に見えるのは、僕らが見やすいからそう見えるってだけなんだよね。というのは、太陽、水滴、観察者の角度が、ある一定の角度になったときに、屈折された太陽光が強い光として観察者に届くわけ。その角度がだいたい42度やったかな。つまり、42度の角度の光が僕らには見えやすいから、あんな形に見えるってこと。
へー。だから虹に近づこうとしても近づけないわけですか。
そうそう、42度の場所は観測者の位置によって変わるからね。てことはさ、考えようによってはこの世界全てが虹に覆われてるって考えられるよね、見えないだけで。
おー、でましたね、なかのさんのロマンチック思考。
でもさ、アーチ状じゃない虹もあるやん?まっすぐな虹。地震の前触れとか言われるやつ。
あ、さすがもりさん、ねじれ者代表、痛いところつくね。
まあね、つっこんどかんと。地震雲とか気になるし。
それもちょっと調べましたよ。どうもそれには環水平アークって名前がついてまして。
急にかっこええな。
でしょ。ほんでこれは虹とは逆に太陽側に現れるんやね。これは太陽の高度と雲を構成する氷結の向きが条件みたい。
で、なんでこっちはまっすぐなん?
……それはちょっとわからへんけど。
あかんやん。
せやけど、なんで気分良く終わらせてくれへんの?
気になるやん。
ならググれや。
はい、というわけで、この辺で音楽かけまーす。

おかもとは音楽をかけると同時に笑い出した。
「せっかくいい感じやったのに」
「気になったんやから仕方ないやん」
「まあまあ、良かったんちゃいます?テーマ1すっかり飛ばされたけど」
「それな。先言っとけよ」
「たまには話したかったんやん。というかミステリ書こうとしてるんやけどネタが思いつかなくてね、できればみんさんから集めたいとかいう下心があったわけやけども」
「それ言っとかなあかんやん」
「まああとで言いましょに、それ面白いですやん。ミステリっぽいネタ集めて三人で謎解きするの」
「ああ確かに。安楽椅子探偵的な」
「あーええかもな。安楽椅子探偵ねじまきねじお」

という感じで

ラジオ探偵ねじまきねじおを誕生させて活躍させたいわけですが如何せん謎とトリックを作るのが難しい。

ミステリの練習をしようと思ってるのでよかったらお付き合いくださあい。

幕を上げる

幕を上げる

 悦子へ

 突然のお手紙に驚かれたことでしょう。私たちが連絡を取り会わなくなってから、ずいぶんと長い時間が流れたような気がします。けれど、実際にはたった数年。私たちが出会う前に流れた時間のほんの三分に一ほどでしかないのですね。私たちはたった一夏でお互いのことを一番信頼するようになったのですから、会わなかった時間など関係ないと思います。

 悦子の結婚式からもう干支が一周したということに驚いています。あの頃は素直に祝ってあげられなくてごめんなさい。私の頑固なところを分かってくれる悦子には今までとても助けられてきたのに。それでも悦子は、演出家はそれくらいじゃないと、なんて言って笑ってくれましたね。女優と演出家、お互いに面倒な人間同士でよく友達になれたなって、今でも思い出して笑ってしまいます。

 要件の前に、いくつか私たちのことを報告させてください。悦子なら、優柔不断な私のことを許してくれるよね。まず、がるるの子供が中学受験に合格しました。前に悦子が会った時はまだ小学校に上がったばかりじゃなかったかな。すごいよね、あのがるるの子がだよ?「トンビが鷹を生んだか」なんてゆっこが言ったらさ、がるるは「鷹どころかファルコンだよ」なんて笑ってるんだから、相変わらずです。ところでファルコンってハヤブサのことだよね。鷹とハヤブサ、どっちが上なんでしょうか。そんなことを尋ねたらきっとがるるは「ファルコンの方がかっこいいじゃん」って拗ねるだろうから言わないけどさ。

 そうだ、明美ちゃんの高校の演劇部がついに地区大会で優勝したんだよ。私は見に行けなかったんだけど、がるるが「感動した!」って騒ぎっぱなしで大変だった。がるるが言うには私たち越えられちゃったらしいよ。若いってやっぱり羨ましいね。でも私たちだって、あの頃できる最高の舞台ができたと思ってる。それはいつまでも私の誇りです。明美ちゃんはいい先生だよ。女の子たちはみんな明美ちゃんに憧れて先生になるって言ってるみたい。そこで女優になるって言ってた悦子やゆっこはやっぱり頭がおかしかったんだなって再確認できました。

 ゆっこのことは、私から改めて報告しなくても知ってることが多いんじゃないかな。あの子は歳を重ねるごとにますます綺麗になっていきます。最近は若い子たちにキラキラした主役の座を奪われたって嘆いてるけど、本当は今とっても楽しんでると思う。役の幅がどんどん広がって、もう日本には欠かせない女優って言ってもいいんじゃないかな。この春に始まるドラマにも出てるから、旦那さんと一緒に見てあげてね。甘えん坊なところは今でも変わらず面倒くさいけど。それと、そろそろ結婚したらいいのにって思うんだけど、まだまだ恋がしたいんだって。

 私は、まあなんとか、赤字を出さずに頑張っています。劇団の運営は難しいけど、やっぱり演劇は楽しい。どこまでいっても、まだその先がある。完璧だって思った舞台を、みんなどんどん越えていくんだ。私はそんな瞬間が見られてとても幸せ。もちろん、思うようにいかなくて辛いこともあるし、というか、そういうことの方が何倍も多いんだけどさ。当たると思った舞台は当たんなくて、ダメだろこれって脚本が当たることもある。なんであんな舞台が人気なのって思うこともあるし、自分なんかもうダメだって思うこともある。けど、やっぱり楽しいの。今この瞬間、自分たちが一番だって思える瞬間を知ってるから。どこまででもいけるって思う瞬間を、あの頃知っちゃったから、やめられないや。

 ねえ悦子、あなたは今幸せですか?こんなことを訊くのは、皮肉とかじゃないって分かってほしい。私が皮肉なんて言えるとも思ってないでしょ?まあ、私だってそれなりに歳をとって、そういう部分もなくはないんだけどさ。ただ、私はまた、あなたと舞台がしたい。

 今年の夏、新しい舞台があって、女優を探しています。脚本は、私たち劇団クローバーの、今じゃ伝説になってる初舞台を手がけてくれた、あの人だよ。プロとして、ゆっこと悦子が主演で、私が演出をした、最初で最後の舞台。ゆっこはもう予定を開けるよう事務所に言ってくれてあるって。私は、悦子のことを待っています。

 今でも、どこまでも一緒にいけると思ってるから。

 高橋さおり

 

 暖炉の火を見つめながら、悦子はしばらく何かを考えるふりをしていた。実際には自分が何も考えていないということを彼女自身は知っていた。それは彼女の癖のようなものだった。時間をやり過ごし、何も考えないようにするために、周りには何かを考えているようなフリをする。そうしないと、平穏で幸福な日常は、あまりにも長かった。

 手紙をそっと、暖炉の火の方へ近づけてみた。それを押し返すように、彼女の小さな手に、抗いがたい熱が伝わってきた。一筋の雫が音もなく彼女の頬を流れ落ちた。彼女は幸福なはずだった。立派な夫がいて、愛する子供が二人もいた。暖炉のある大きな家が一等地にあり、キッチンは誰もが羨むような大きさで、壁には彼女の趣味の写真が額縁に入れられて飾られている。彼女の考えでは、女として他に望むものなど何もなかった。それなのに、どうして自分は退屈なのだろう。全てを裏切るような自分の感情を、悦子はなんとか握りつぶそうとしていた。

 高橋さおりと、特に橋爪裕子の活躍は、テレビや雑誌で毎日のように目にしていた。初めは彼女たちが、かわいそうだと思った。いつまでも自分たちをさらけ出して生身で生き続けていては、本当に安らげる幸福を手にすることはできない。しかし、その幸福が、いったいなんだっていうのだろう。悦子は、そんなものよりも尊いものを、知ってしまっていたのだから。

 手紙をテーブルに置いて、エスプレッソマシンでカフェラテを落とした。静かな広い部屋に豆を挽く音が響き、また静かになった。ステレオから適当なジャズを流して、悦子は昨日撮った写真を眺める。赤いちゃんちゃんこを着た夫は、年相応に老けていた。しかしその目はいつまでもエネルギーに満ちていて魅力的だった。それでも、ただそれだけだ。

 その隣に写る上の子は、夫の魅力的な目を受け継いでいて、意志の強そうな鼻筋が年齢よりも彼を大人びて見せている。都立中学に通う彼は学年でもトップクラスの学力で、サッカー部でも一年生ながらレギュラーに入っている。ピアノも弾きこなす美男子の彼は自慢の息子だった。

 下の子は小学五年生ながら息子以上の落ち着きを見せる聡い子だ。場の雰囲気に合わせて明るく振舞うこともでき、悦子は娘に女優としての才能を感じていた。娘は接する相手の望むように自らの性質を変えることができるので、本当の彼女がいったいどれなのか母親である悦子にもわからなかった。器用になんでもすぐこなしてしまい、バイオリンの先生にもプロを目指すことを勧められているのだが、本人は何にも熱意を持っていない。冷たい子ではない。誰よりも優しく、誰のことも受け入れる。いじめられている子がうちに遊びに来ることは昔からよくあった。けれど娘が本当に仲の良い子は誰かと問われれば、悦子には一人も思い浮かばないのだった。

 どこにでもありそうな家庭の不安はいくらでもある。子供の交友関係に進路、夫の体重と健康、親せき付き合いにご近所付き合い。最近特に話題に上がるのは地域のゴミ収集問題だ。しかしそんなことは暇な主婦のみなさんが勝手に議論してくれればいいと井戸端会議に参加しながら悦子はずっと思っていた。相槌を打ちながらもいつもどこか上の空。容姿のおかげか、ミステリアスか天然な奥様だと思ってくれているみたいだが、心の底ではそんな彼女たちのことを心底軽蔑していた。そして自分もそんな暇な主婦の一人だということを考えると、心底自分が嫌になるのだった。

 何歳になっても人間は何が正しいのかはわからない。人生は選択の連続だというのに、その答え合わせをするには時間がかかりすぎる。そしてその頃にはもう引き返すことはできないところまで来てしまっているのだから、神様は残酷だ。

 けれどさおりは、そんなことないって言うのだろう。そう思って悦子は笑った。この世界を諦めた悦子とは違い、さおりは未だにこの世界のことを信じているのだ。これからもう一度舞台に立つなんてことは、悦子には考えられないことだった。今更人前で恥をかくなんて、死んだ方がましだ。そして何より、旦那に恥をかかすわけにはいかなかった。

 旦那と出会ったのは、さおりが劇団を立ち上げる前年のことだった。悦子は当時所属していた劇団の公演で舞台から落ちて大怪我を負った。その時の手術を担当したのが彼だった。自分の倍ほどの年齢だった彼と話すうちに、悦子は自分の世界がどんどん広がっていくことを感じた。彼は悦子の知らないことをいくらでも知っていて、知らない場所に何度も連れて行って驚かせてくれた。知的で包容力があり、何よりもエネルギッシュな彼に、悦子が恋をするまでにはそれほど時間がかからなかった。一年後、さおりと劇団を立ち上げ、初舞台を成功させた時には、彼女はお腹に新しい命を宿していた。有終の美を飾り伝説を作るように悦子は引退して結婚し、それからずっと良い妻として夫を支え続けた。舞台に焦がれる夜はあったが、彼女は小さな子供の手を握ることで心の底から満足を得ることができた。これでよかったんだと、何度も自分に言い続けた。

 子供が彼女の手を離れ始めると、悦子は自分の中の空白から目を逸らすことを意識しなければならなかった。それは学生時代からずっと彼女の中にあったものだから、目を逸らすことはそれほど難しいことではなかった。感じないように、考えないようにすることに彼女は慣れていた。しかしその空白が何をできるのか、彼女は知っていた。その空白自体ではなく、知っているということが彼女の苦しみだった。

 ピアノに近づき、ポロンと鍵盤を鳴らしてみる。音が彼女の中で反響し、彼女の空白を震わせる。息子が小さかった頃、一緒に練習した優しい曲をゆっくりと弾く。幸せの記憶で胸の中を浸すように努める。しかし彼女は混乱して何も思い出すことができなかった。新婚旅行で行ったヴェネチアの景色さえ、自分の記憶だという実感を持つことはできなかった。まるで誰か知らない他人のつまらない幸福の物語を見せられているように、彼女はそこに何の感動も持ち合わせなかった。

 その脚本を見つけてきたのはゆっこだった。悦子の知らない名前の脚本家だった。どうやら売れない小説家が賞に応募して落選したドラマ脚本らしく、彼女がその名前を知らないのも当然だった。しかしゆっこの押しに参って読み出したさおりはその物語に強い印象を受けた。脚本としてはお粗末なものだった。しかしさおりはそれをどうにか舞台の脚本に直したいと言い出した。悦子は劇団クローバーの初公演がどこの誰だかわからない脚本家のもので行われるのに反対だった。しかし悦子が反対した時ほどそれを覆そうとさおりはいい仕事をしてくるのだった。

 タイトルは「ドュ・ユ・ワナ・ライブ?」というもので、どこにでもいるような五人の女の子がアイドルを目指し、何度も壁を乗り越えて最後には国立競技場の舞台に立ち、五万人の前で笑顔の天下を目指すことを宣言するという話だった。さおりが直した脚本では、等身大の五人の女の子それぞれが汗と涙にまみれながら自分たちで道を切り開いていく姿が実に印象的に描かれていて、悦子は首を縦に振らざるを得なかった。どこにでもいるような女の子たちは物語が進むにつれ、ひとりひとりがかけがえのない存在に成長していく。悦子はその五人のことを「奇跡の五人だね」と言って笑った。

 しかし制限のない小説ではなく、時間と場所という制限のある舞台でその物語を再現するのは至難の技だった。悦子とさおりとゆっこは毎晩のようにさおりの家に集まって議論を重ねた。キャスト、衣装、舞台装置、劇場、考えなければならないことは山ほどあり、その困難の険しさは彼女たちが表現しようとする物語ともリンクしていた。しかしその過程は苦しいものではなく、悦子の人生で一番楽しい時間だった。何度も喧嘩しながら自分たちで作り上げていくその世界への想いは愛と呼んでもよさそうだと思った。

「ねえ、このセンターの子さおりっぽくない?」

「あー確かに。じゃあこれはさおりで」

「ちょっと待って、あたしは演出家だから!舞台には出ないって!」

「でも予算そんなにないでしょ?」

「そうだけど、その子ほとんど主役じゃん!」

「でもこの子は自分が主役なんてこれっぽちも思ってないんでしょ?さおりがト書きにそう書いてるじゃん」

「そうだけど」

 さおりのマンションのベッドに三人でひっついて横たわりながらそんなやりとりをした。さおりは結局いい役者を見つけてきたので舞台に上がることはなかった。そのことでゆっこは随分拗ねていたが、役者としてはプロなので稽古場ではさおりの言葉にきちんと耳を傾けた。さおりがあてがわれそうになった役をこなした女優は、それからゆっこと共に大きな注目を浴びることになり、今は朝ドラで活躍している。ゆっこは未だに彼女ととても仲が良く、公式Instagramにはよくツーショットが投稿されていた。

 悦子は劇団クローバー初公演の映像を見返しながらそんなことを思い出していた。あの頃は人生の全てが演劇の中に浸されていた。生きるということ全てが演劇に繋がっていた。空も、風も、太陽も、全てが彼女を浮かび上がらせる演出に過ぎなかった。何もかもを失っても、自分がこの世界に残っていればそれでよかった。そんな傲慢さが女優には許されていた。そしてそれが怖くなっている自分がいた。夫との関係はさおり達にも打ち明けることができなかった。彼女は妊娠を知った時、自分が心底愛してるそんな人生から逃れられるということに安堵した自分を感じたのだった。だからもう、続けられなかった。

 それなのに、さおりはもう一度あの舞台に戻ってこいと言うのだ。なんて勝手で残酷なことを言うのだろう。悦子の恐怖を見抜き、それを理解してなお、さおりは彼女に手を伸ばすのだった。

 あなたは今幸せですか?そう問われれば、悦子は迷わず幸せだと答えることができた。そしてその答えには周りの誰も疑問を抱かないだろう。しかしさおりは、そんな悦子の胸の中で何かがきゅっと軋む音を聞き分けることができた。夫も子供も気づかないその音を、演出家の彼女は鮮明に聞き取ることができるのだった。演出家には敵わない、と思いながら悦子は映像を消した。

 旦那に相談してみようかと思ったが、そんなことをしても仕方がないとわかっていた。全ては自分が決めることだった。さおりと出会った高校生の頃から、舞台の幕は上がっていた。それを下ろしたのは悦子自身だった。だからもう、誰も幕を上げてはくれない。その先の世界を見たいのならば、悦子は自分で幕を上げなければならなかった。さおりは、彼女にそれを求めていた。舞台で演じるのは演出家ではなく役者だ。そこで物語を紡ぎ出すのは脚本家ではなく役者だった。舞台では誰も助けてくれない。自分だけを頼りに世界を生み出さなければならなかった。その世界は役者のものだ。だから、自分で決めなければならない。

 悦子は手紙を掴むと、コートも羽織らず外へ飛び出した。彼女の耳にはもう満場の拍手が聞こえていた。想像してしまったのだ。だからもう、悦子の負けだった。さおりのせいだ。この世界を舞台にどこまでも生きていきたいという欲求を、これ以上抑えることはできなかった。たとえその選択が間違っていて、いつか後悔する時が来ても、それは今ではないのだから。そして人は今しか生きられないのだから。今を蔑ろにしないように、今を全力で駆け抜けたいと、悦子は強く思った。さおりが昔こんなことを言った。

「世界を救うのは、きっと、いや絶対、馬鹿なやつだよ」

 三人で笑って、そんな馬鹿になりたいねと話したことを、悦子は忘れていなかった。

ひとこと

随分と説明不足ですが、これはももクロ主演の映画「幕が上がる」のその後の物語です。

自由

自由

自由という言葉は、たしか福沢諭吉が訳したんだっけ。自らに由る。

ところで、自らって、なんだろう。

それがわからないのに、どうして自由なんて言葉を好きになることができるのか。

そこら中にある自由。どんどん世界は自由になる。けれど、本当に?

自由という言葉の意味が、僕にはよくわからない。

安楽死についての小説を古市さんが書いた。僕は読んでいない。

自己決定権と、日本に蔓延する自由は、少し違うものなのだろう。

自由を求めるが、責任は持ちたくない。

けれど海外でだって、人々の声で、いろんなものが規制されていく。

自分で決めることができないから、そもそも禁止してしまう。

問題を自分でどうにかするのではなく、問題自体を無くしてしまう。

それで、いいのだろうか。だれがそれを正しいと決めたのだろう。どうでもいいけど。

弟は、自分の正しさを主張することにムキになっている。

普遍的な正しさなんてものは、この世界に存在するのだろうか。

道徳的な倫理観は存在する。けれどそれだって、環境によって変わる気がする。

僕らは何を信じればいいのだろう。

自らに由る。僕はどこにいるのだろう。僕は何に由ればいい?

正しく生きることが、果たして正しいのだろうか。

正しく生きて、自らの望むものを得られず、それで、満足して死ぬことができるのだろうか。

綺麗に生きて、他人に誇れる死を迎えても、それは幸せだろうか。

自由に生きたい。けれど、自由の意味がわからない。

何にも満足を覚えることがない。自分が何を求めているのかわからない。

助けてほしい。しかし、誰に助けを求めればいいのかわからない。

何から助けられたいのかわからない。

けれど、もう自分ではどうしようもないと思っている。

何を言いたいのだろう。物語を綴ることで、僕は何を伝えたいのだろう。

僕は、救われたいのだと思う。しかし、何から?

どうすれば、救われたと思うのだろう。

愛されたい。そのために価値を示すことはできない。愛されない。

愛するとは、どういうことだろう。どうすれば愛されるのだろう。

何も必要ないといいなと思う。都合がいい話だ。

愛してくれたなら、僕はここから歩き出すことができる。

けれど、ここから歩き出さなければ、愛されることはないだろう。

何の担保もなく、信じてほしい。そんなことは、ありえないのだろう。

自由に愛することは、できないのだろう。自分なんて、誰も知らないのだから。

人間が最も論理的に思考する方法は、比較することだと何かで読んだ。

自らに由るなんて、信用ならない考え方なのだろう。

正しくなくてもいいと、僕は思うのだが。

間違っていても、自由に愛することができれば、いいのにな。

王様は死んだ。僕らは自由だ。それでも、王国は続いていく。

漂泊の日々

 僕は何が気に入らなかったのだろう?何がおかしいと感じていたのだろう。もうあまりよく思い出せなくなっていた。この部屋に引きこもって大学へ行かなくなってから数ヶ月が経ったが、僕はあの心底嫌気がさした日々から逃げ出して、どれだけ素敵な時間を送ってきたというのだろうか。実際は、起きて、食べて、寝ての繰り返し。昨日の記憶もあやふやなまま、時が過ぎ去ることをただひたすらに堪え忍んでいただけだ。どうしてそんなことをしなければならなくなったのか、今ではぼんやりとしか思い出せない。

 とにかく、気に入らなかったのだ。何も考えていない人たちの中で、意味のないことをしなければならない日々が。ただ与えられたものをこなすという努力がどれだけ崇高なものなのか、あの頃の僕にはわからなかった。いや、与えられるものにしか気付けない自分自身が悪かったのだ。自分次第で、もっと遠くまで行けたはずなのに、目の前に差し出されたものに満足できず、自分はもっと特別なものを待っているようなふりをして、やらなくてはならないことから逃れ続けていただけだ。

 僕は何がしたいのだろうか?心底馬鹿らしいと思っていた世界から逃げ出して、この部屋で何を探そうというのか。あの日の僕がいた場所を、とにもかくにも否定したかっただけであり、どこへ行きたかったわけでもなく、何をしたかったわけでもないのだろう。ただそこに居たくない。その思いを遂げただけだ。そして今、僕はこの部屋に居続けることにも限界を感じ始めていた。

 僕はどこへ行けばいいのだろうか?どこへ行って、何をすればいい?何も考えずに指示に従うだけの頭のない人たちを散々軽蔑しておいて、今となっては彼らに強い憧れを抱いているのだった。彼らこそ、人間の進化の果てなのかもしれない。考えてみれば、科学の発展はすべての人が等しい能力を持つことを目的としているのではないか?足りない能力を補う装置が次々と発明され、どんな人間でも同じような活動ができるようになり始めている。最近では脳に情報をアップロードすることで、テスト勉強が不要になるというような技術まで発明されるかもしれないという噂だ。

 そうなると、僕たちが心底大事にしているように見えて、社会的には害でしかないというように扱われている「個性」というものはどうなってしまうのだろうか?誰が何をやろうが同じ能力を発揮できるのであれば、あとは好みの問題ということになるのだろう。素晴らしい世界だ。みんながみんな好きなことをできるなんて。ただ、どれもこれも自分が考える想定通りの事象ということになり、何もかもがつまらなくなるだろう。みんな同じで、みんな悪い。そのとき僕たちは、どうして生きているのかと考えるだろう。

 生きているとはどういうことなのか?ただ呼吸をしていればそれは生きていると言えるのか?脳死と判定され、生命維持装置なしでは命を繋ぎとめておくことすら不可能な人でも?おそらく多くの人はただそれだけで生きているとは感じないだろう。人間にとって生きているとはどういうことなのだろうか。

 気がつくと、カーテンの向こう側がもう薄明るくなり始めていた。今日も僕は目を覚ましたまま朝を迎え入れることになったようだ。もう少ししたら目を刺すような強い朝日が現れて、それから逃れるようにようやく僕は眠りに落ちることができる。それはこの世界から逃げ続けるために僕の体が勝手に身につけた方法だった。いつの間にか、太陽が昇っている間ならいつまででも眠れるようになっていたのだ。僕の世界には夜しかない。孤独と自己嫌悪にまみれた自傷行為のような夜しか。

 重い体。泥だらけのユニフォーム。僕は中学校のグラウンドにいた。サッカー部の同級生や先輩が走っている。僕もゴールへ向かって走るが、体が重い。思うように走れなくて気持ち悪い。どうして、あの頃は僕が一番足が速かったのに。みんな遠くへ行ってしまう。遠のくゴール。遠くで何度も鳴り続けるホイッスル。リフレイン。

 アラームが鳴っていた。十七時。アルバイトへ行かなければならない。今日も一日を失ってしまった。寝起きはいつも最悪だ。自分の何かがどんどんすり減っていくのを実際に感じるのに、それがどこなのかわからない。目に見えなくて、実体のないものなのに、それは確かに存在して、確実に削り取られ続けているんだ。僕はそのことを知っている。そして、僕がこんな生活をやめない限り、それは永遠とすり減り続けていくのだ。なら、最後に残るものはなんなのだろう?いや、現実的にはそんなところまでこんな生活は続けてはいられないのだが。

 アルバイトをしていることで、僕の人間性はかろうじて繋ぎとめられているのだと思う。たまに声が出ていないときはあるが、まだなんとか他人とまともな会話ができた。しかし、日中の生活が存在しないので、向こうから何か言われない限り、こちらからは何も話すことがないのだ。

 ただ時間をこなしていくこと。それが今僕がやっていることのすべてだ。自分の中からは何も意欲が湧いてこなかった。このまま時間を無駄にし続けることはできないとはわかっているが、だからといって何をすればいい?何をしてももう、逃げているようにしか思えない。それくらい、やらなければならないことから逃げ続けている。

 いつからだろう、僕が面倒なことから逃げるようになったのは。学校の勉強や、社会の風習や、この世界のいろんなことが馬鹿らしいなんて思ってしまうようになったのは。なんといっても僕が無能で馬鹿だったのだろう。この世界にも、僕たちが生きていることにも、突き詰めていけば意味なんてない。だから、人間的な幸福とはたぶん、精神的に崇高な話ではなくて、生物的な生きやすさの話になるのだと思う。人間は自分たちで構築し続けてきたこの社会に依存して生きているのだから、その社会により順応し、その流れというものに身を任せ、エネルギー消費を抑えるためにできるだけ思考を放棄し、見せかけの社会の答えを信奉することで幸せを感じるのではないだろうか。同じバイト先で働く学生達を見ていると、特にそのような考えが強くなる。

 そう、今の社会はこれまで積み重ねられてきたものの上にあって、そこにはそれまでのいろいろな事象の答えがすでに用意されているから、僕たちは思考を飛躍してその答えをただ実行すればいい。グーグル検索万歳。だから自分の意思なんてものはないし、自分の発言に自信なんて全くない。自分で積み上げてきたものなんて一つもないのだから。

「何か意見はありますか?」

「ありません」

 以上。あとはよろしく。僕は悪くない。僕に責任はありません。この社会が悪い。全部全部、こんな社会のせいだ。こんな社会を作った大人たちが悪いんだから、僕たちは何もしなくていいはずだ。教えてもらってないぞ、そんなこと。僕は悪くない。僕は悪くない。

 社会に出て働いたこともない僕がこんなことを考えても何の真実味もないハリボテな思考でしかないけれど、そんな空気はすでに学校生活でも感じることができるのだから、これから先もたいして変わりはないだろう。

 バイト帰り、そんなことを考えながら、なんとなく、橋の上から川を見る。真っ暗な水面が、電灯の強い明かりでぬめぬめと輝いていて、ひどく重たいものを運んでいるように見えた。重油でも流れているのだろうか。いや、そんな考えは心底つまらない。ありえないし、ユーモアもない。ただ、その窒息しそうな色に強く魅入られた。重そうという感覚から引力でも発想したのだろうか。それはほんの一瞬のことだった。音も感じず、呼吸も忘れ、とにかく、その川面に引っ張られたのだ。そしてそれは何の思考も存在しない、ひどく心地良いものだった。

 引っ張られていた手を突然離されたように僕は橋の欄干から飛び退いた。何かを見た気がする。しかしその何かは僕の意識に上る前に記憶の渦に飲まれて消えた。

 夜が始まる。僕の目は冴えわたっていた。日中眠り続けていたのだから当然だ。この時間に何かをするか?いや、何もしたくない。動きたくない。眠りたい。けれど、眠るのもしんどい。中途半端な吐き気と頭痛を伴った、いつも通りの夜だった。僕は何をしているのだろう。何度こんな日々を繰り返すのだろう。意味がわからない。けれど、僕にはもうどうすることもできない気がする。誰か助けて。そう思っても、メッセージを送るべき相手は一人もいない。誰も僕を救えない。これが僕の人生。今更だが、すべて自分で選んだもののようだ。だから誰の責任でもなく、僕が悪い。

 そうだろうか?僕はただ生きたいと願っただけなのに。こんな意味のない生活を送りたくないと、すべてを無価値で無意味なものだと決めつけたのはとんでもなく馬鹿で愚かだったかもしれないが、本当に、ただ、ちゃんと生きたいと願っただけだったのに。

 引きこもる前の僕の生活は、ありふれた、どこにでもいるようなしょうもない大学生の日常。意欲も自主性もなく、ただ言われた課題をこなすだけ。流れのままにこなす日々、リアリティーのない時間が過ぎていく。痛みを感じることもそうそうなくて、ほとんどなんの刺激もない。生きているという実感がなかった。

 それでどうして引きこもってしまったのだろう?自分が世界を否定すれば何もかもが逆転するとでも思っていたのだろうか?刺激的な何かが向こうから突然やってくるとでも思っているのだろうか?終末世界の妄想は引きこもりの定番だろう。けどそんなもの心の底から信じている人はいない。何をしているのだろう?何を考えている?わからない。何もわからない。何かをしたい。けれど何をすればいい?

 本気で生きることが怖いんだ。自分が何も特別ではないただのその他大勢で、特別なことなんて何一つできないという現実を受け入れることができないんだ。そんな子供じみたことを思っているから、いつまでもこんなところから抜け出せないんだ。答えが溢れかえっている世界で、何をやってもたいして意味はないんでしょって言ってみて。車輪の再発明ばかり。なら僕がやるべきことはなんだ?結婚して子供ができて家族のために働くことか?それはきっと立派で幸せなことなんだろう。だけどそんなことみんながやればいいじゃないか、どうして僕まで同じことをしなければならないんだ?人間という動物の一種だからか?種を残してその繁栄に従事することだけが目的か?もっと何かないのだろうか、何かもっと、意味のあることが……。

 この不確かな世界に、本質的に意味のあることなんて何一つないのだろう。それはそれぞれの人間がそれぞれの価値判断で決めるものだから。それでいいと思わなければ、どこへも行けない。この部屋からでなければ、何も始まらない。思考を行動へ変えなければ、何も変わらない。けれど、どこへ行けばいい?何をすればいいのだろう。誰か教えて下さい。

 今日も意味のないことをしよう。何の結果も生み出さないことだ。それは想像の刃。ゆっくりと、僕はその刃を自分の心臓に突き立てる。大切に抱きかかえるように、深く、深く。目の裏で川面の光が瞬いた。そこはきっと何も考えなくていい、心地の良いところだろう。流れ流され何もわからなくなってしまえる、とっても素敵な場所。それでも僕は、この吐き気のする部屋にすがりつく。狂うこともできない出来損ないの遭難者。きっとまだ、明日の自分を信じているんだ。だから僕は馬鹿だって、自分で思う。そんな、朝。久しぶりに、一つの短編を書き上げることができた。それは「嫌煙」というタイトルの、二千字程度の物語だった。

 吸い慣れない煙草の煙が目にしみた。夜。運転中。左手から短い煙草が滑り落ちた。「あっ」と声が溢れた。そして男は「ぎゃっ」と叫んだ。煙草を挟んでいた指が、黒い芋虫のように蠢いていた。いや、それは実際芋虫だった。腹から喉に向けてよじるような悪寒がこみ上げ、喉が胃液で熱くなり、嫌な匂いが鼻に抜けた。反射的にブレーキを踏み込み、暗い一本道の真ん中で車は前のめりに停車した。体から遠ざけた左腕を大きく振るも、芋虫はやはりそこから生えていた。男は狂気に駆られ二本の指をダッシュボードに叩きつけた。

「ぐあっ!」

 痛覚は男のものだった。潰れた芋虫は闇の中でテカテカと光る液体を吹き出しながら、より活発に蠢きだした。男は小さい頃、車のドアに指を挟まれたことを思い出した。夏で、バーベキューの帰り道、まだ子供だった男が乗り込もうとした時、ふざけた兄がドアを閉めたのだった。あの時の、体の感覚が一本になり、他の部位がしんと静まり返るような、原始生物的な痛みだった。歯を食いしばり過ぎたのか顎の筋肉が引きつり、歪んだ口が戻らなくなった。それでもまだ右手を伸ばしギアをパーキングに入れてサイドブレーキを引くくらいの冷静さは残っていた。しかしハザードランプをたくほどの余裕はなかった。

 ドアを開け外に出た男は、理由もわからず走りだした。しかし逃れたい芋虫は彼の手の先でいつまでも身をよじっている。闇の中から恐怖が胃の中に忍びこみ、内側から彼を引き裂こうとしているようだった。足が絡まり、男はアスファルトに向けて勢いよく飛び込んだ。右側の頬、肩、肘、大腿部、膝、踝。これは自分の体の痛みだ、と思うと嬉しかった。しかしどうして自分は左側をかばうような転び方をしたのだろう?痛みが分散し、男はわずかに思考を取り戻した。もしかすると、この芋虫は俺を乗っ取ろうというのではないか。そう考えるとゾッとした。

 男は蹲ったまま体の下にある右手をポケットに突っ込んだ。そこにはライターがあった。ナイフはなかった。ナイフを持ち歩いている人間なんていない。それは残念なことだった。しかしライターがあった。焼き殺してやる。

 その時だった。左腕の表面が疼いたような気がしたのだ。音が消え、男の全意識が自分の左腕に注がれた。鼓動が音もなく、振動でその存在を伝えていた。男は見た。体表が膨らみ、よじるのを。

「かまうものか」

 男は歯を食いしばり、蠢く芋虫の指にライターの火を近づけた。彼らは熱を感知しお互いに絡み合いながら身をそらす。己の身を大事にするその姿の滑稽さを男は鼻で笑った。そんな抵抗は無駄だ。しかし無駄だったのはそんな男の決意だった。自分の指を火で焼き切ることなんて不可能だ。男はすぐにライターを投げ捨てた。一瞬の痛みを我慢するために強く噛んだ唇から血が滴り、口の中を鉄くさく染める。そして指を詰めた痛みに、火傷による痛みが波のようにじわりじわりと周期的に加わることになった。

 男は声を上げて笑い出した。そして立ち上がると腰をかがめたまま芋虫をアスファルトに擦り付け走りだした。

「やめてくださいやめてくださいやめてください」

「痛いです痛いです痛いです」

 何故だか男は胸の内から残酷な喜びが込み上げてくることに気がついた。痛みが増し、キーキーうるさい声が大きくなるほどにその喜びは増していった。

「やめてくださいやめてくださいやめてください」

「痛いです痛いです痛いです」

「ハハハハハ」

 息もできないような笑いが腹から込み上げてくる。こんなに愉快なのは久しぶりだった。いや、もしかすると人生で初めてのことかもしれない。そして笑い声に反し男は自分の顔が表情を失っていくことにも気がついていた。顔の筋肉はもうほとんど意識して動かすことができなくなっていた。しかしそんなことはどうでもよかった。男は車に向けて走り続けた。男の走る後には黒い線が二本引かれ続けていた。

 男は息を切らせながら車のエンジンをかけ、サイドブレーキを解除し、ギアをドライブに入れた。車はゆっくりと前進を始める。そして男は右側のタイヤの前に左手を差し出した。危機を察した芋虫が喚き声を上げるのが愉快でならない。

「お前たちは俺のものだ。逃げ出すことはできない」

 そしてついにタイヤが男の小指を踏み潰そうとした時だった。男の左腕は関節ではないところからぐにゃりと曲がり、すんでのところで圧縮を回避したのだった。皮膚が裂け、男の顔に生温い液体が飛び散った。目の前にはこぶし大の芋虫の顔があった。そいつはニヤリと笑うと「ありがとう」と言った。男はその顔を踏みつけようとしたが、そいつは器用に身をよじってかわすと男の首筋に噛み付いた。

 こいつはいいや、と男は思った。俺が死ねばこいつを殺せる。自分で自分の首を絞めてやがる。これだから虫公は。笑えるぜ。だから男はそいつの好きにさせておいた。しかしその時、男はそれでは自分が死ぬということに気がついた。それはいけない!けれどもう遅かった。

 彼の目には、自分の姿が映っていた。その男は嬉しそうに笑うと、車に乗り込んでライトをつけた。彼は眩しい、と思った。そして自分の体がずいぶんと動かしづらいことにも気がついた。目を覆う手がなかった。目の前に煙草の吸い殻が転がっていた。彼の煙草とは違う銘柄だった。ずいぶんと大きいなと思った。黒い壁が目の前に迫っていた。ゴムの焼ける匂いがした。

 今でも僕と話してくれる数少ない友達にさっそく送りつけてみると、ただひとこと「こわい」と返信が来た。しかし僕はこの物語を希望の話だと解釈していた。車を降りる時、男はライトを消していない。しかし最後の場面で、男はライトを点けている。つまり、男はもともと真っ暗な道を煙草を吸いながらライトも点けずに車を走らせていたのだ。この男は死を望んでいたのだろう。積極的に死のうとは思っていないが、死んでもいいやくらいのことは思っていたに違いない。または、誰かの死を望んでいた。自分が轢き殺すかもしれないその相手に、何らかの癒しを感じていたのではないかと思う。しかし生まれ変わった男は、今までの自分を轢き殺し、ライトを点けて走り去る。生まれ変わり、新たな自分を生きる決意をしたのだろう。それがどうしてなのかはわからない。そんなことができるのならば僕にもぜひ教えて欲しい。しかし人生とはもしかすると筋の通った連続性のあるものではなく、もっと離散的なものなのかもしれない。ある瞬間を境に、突然変わることもあるのかもしれない。ここに生きる自分と、あの時を生きた自分とが同じものだとは誰にも証明できない。自分なんてものは曖昧な記憶と、この牢獄のような肉体が繋ぎ止めているに過ぎないものだ。そう考えると、自分というものは僕らが魂とか精神とか意識とか呼んで大切にしているものよりもむしろ、疎かにされがちなこの肉体にこそ宿るのではないかと思えてきた。つまりこうだ。今後の人間は自分という中身のために入れ物である体を取っ替え引っ替えすると勘違いしているが、本当は中身、つまりソフトウェアの方を更新すべきで、ハードウェアである肉体こそが主人なのだ。そしてその主人をより良い状態に保つため、その場その場に合わせたソフトウェアを導入する。だって生存のために優位な形質であるから獲得されたはずのこの意識とかいう代物が自らの生命を奪う、つまり自殺という現象は明らかにソフトウェアのバグではなかろうか。そして苦しい現実から逃れるために他の人格を作り上げるといったような精神病は、病気というよりもむしろ進化のような気がしてきた。はっはっは、今日はなかなか調子がいいぞ。こうやって世界の信じるものにケチをつけて回るのは、僕の唯一と言っていい楽しみなのだ。

 しかしだからといってこの物語が万人に救いの小説であると受け入れられる必要はない。それは必要な人がそう受け取ればいいだけの話だ。だから我が友人のようにこれをただの気味が悪いホラー小説だと読んでもなんら間違いではない。僕は彼を否定するつもりもないし、そもそも僕自身だって初めからこれを救いの小説、希望の小説だと思って書き進めたわけではない。頭に浮かんだものをそのままできる限り素直に文字へと変換してみようと試みた、夜の慰みであったに過ぎない。男が車を降りる時にライトを消していないのは、単純に僕が消し忘れたということが事実かもしれない。しかし事実などどうだっていいのだ。物語に多面性がなければそれはもう死んでいる。一義的なものなど糞食らえだ。作者に意図などない。

 まったく、世の中をきちんと生きようとする人たちはどうしてそれほど強固な意見を求めたがるのだろう。この世にはっきりとしたものなど存在しないというのに。彼らはどうしてこの世界が実際に在ると信じているのだろうか。僕にはさっぱりわからない。そんなこと考えても仕方がないって?かといって放っておけるような問題でもなさそうなものだが。それならば例えば全てのことがこうだと決まっている理想的な水晶宮のような世界になったとして、彼らはいったい何をするのだろう。何をしてもしなくても物事はもうすでに決定している。全てのことはもう記されているのだとしたら、生きる必要などどこにある?世界を一義的に決めてかかろうとする彼らの意見を是非とも聞いてみたい。ああ、そういえば先日見に行ったミュージカルの世界観設定が面白かった。その話では、生まれ変わりは縦軸の話ではなく、横に続いているパラレルワールドに移るようなものだとしていたのだ。これには僕もなるほどとうなずかずにはいられなかった。世界には常に現在しかなく、世界はいつもミルフィーユのように重なり合い、響き合っている。だから本物の世界がどれかなんて考える必要はなく、それぞれがそれぞれの影であり、お互いにお互いのエコーとして、そうやって曖昧に、不安定に、そして奇跡的に存在しているのだ。僕はその考えが心底気に入った。そんな世界ならば、希望を持って生きることができるような気がする。まあ、この世界がそうだとは限らないので僕がそれから意欲的に生きようと心を入れ替えることはなかったのだが。それでもその可能性の示唆はそれなりの救いを僕に与えてくれた。

 僕らは未来を生きたがり過ぎている。来るともしれないいつかのために、今を犠牲にしている子供の多いこと。大人になんてなるもんじゃない。子供という、人間が唯一本来的に生きられる期間を、大人になって死んでいくための準備期間として生きなければならないこの社会は、なんとも悲しいものではないか。救いがないと呟きながら、必死に社会生活にしがみつく多くの人間は、きっともう、一人の人間ではないのだ。彼らはすでに人間という種、人間という概念に成り下がっている。個としてその身に宿る人間性は捨て去っているのだ。もちろんまだそれぞれにそれぞれの苦難があり、状況があり、幸せがあるが、それはもういくらも繰り返されたどうでもいいものでしかなかろう。シミュレーション仮説が正しいとすれば、彼らのそのような生はもはや観測対象から外れた惰性的なものでしかない。そしてその中庸さこそ、今を生きる社会人間に対して最も幸福を授けるものであるのだ。この世界はもう終わろうとしているのではないか?人間は増え過ぎた。ほんのわずかのイレギュラー的な人間以外、もう全てデリートキーで消し去ってしまってもいいのではないだろうか。いや、そんなイレギュラーを生み出すためには、これだけの社会人間と社会システムが必要なのだろうか。観測者はいったい何を探し求めているのだろう。この宇宙を記述する大いなる言葉とかいうやつか?そう、僕らはこの宇宙の言葉なのだろう。宇宙規模で見れば人間の命なんて使い捨ての電池のようなものだ。しかしそんな使い捨て電池がこの瞬間を照らし続け、永遠を証明しようとしているのだから、これは大したものだと思う。永遠がないとすれば、数字の最後は何と呼ぶのだろう。それを知ることができれば、いったい僕らは、世界は、何を見出すのだろう。

 ある作家が、小説とは、そこにある言葉で、そこにある言葉以上のものを表すものだと言っていた。だから僕は小説に希望を見出したのだろう。ここにある世界で、ここにある以上のものを表すことができれば、僕らは救われるのだと思う。僕らの魂がもしあるとして、多くの神話が示すように、それはこの世界には収まりきらない、この世界の外のものを含むものなのだろう。昔からずっと人間はそのことに気づいていたようだ。グノーシス主義の言う本来的自己は、本当にプレローマからこぼれ落ちたものなのかもしれない。そしてそこまで行けば、僕らを救ってくれる天使たちが待ち受けてくれている。それはとっても素敵なことだろうと思う。ここにある命で、ここにある以上のものを。僕は欲張り過ぎなのだろうか。だから何も得られないのだろうか。いや、僕が何も得られないのは、何も行動しないからだ。行動。それこそ結果の全て。思考など幻想に過ぎない。人間は物理的な存在だ。生きているうちに霊的な存在にはなれっこない。夢が現実を変えるわけないだろう。夢が変えたのは現実の行動であろう。手と足を動かして行動すること。人間にできることはそれだけなのだ。だから僕はいつか、きちんと自分を殺そうと思う。しかしそれは今ではない。ありがたいのか、残念なのか、それはその時の心理状態による。今この文章を書いている時点ではそれなりにありがたいことだ。何故なら僕はこの文章がどこにたどり着くのか知りたいと思っているからだ。未来に希望を持っている。これを書き上げたからといって、僕の生活が変わるかといえば、そんなことはないだろうが、それはその瞬間が今になるまで確定していない。未来は存在しない。どれだけ確実なことでも、それが実際に今になり、過去になるまで、確定された事象ではないのだ。悪魔の不在を証明してみろってなもんだ。証明者さんは大変だ。宇宙は今も広がり続けている。あなたの証明しなければならない世界は今この瞬間にもどんどん増え続けている。その証明が追いつくことはないだろう?いや、信じ続ける限り、あなたが証明できないとも言い切れない。だから僕らはみんな平等の立場に立っているのだ。そう考えると、この世界はそれなりに素敵なのかもしれない。神様がいるならば、あんたはうまくやったよ。

 もちろん現在僕はこの文章を誰かが読む可能性のもとに書き記しているのだが、そしてそれを心ならず求めているのかもしれないが、さしあたって誰に向けても公開する予定はない。それならばこのような七面倒な作業をする必要はないと思われるだろうか。勝手に頭の中で思っていればいいと言われそうなことはもちろんこっちだってわかっているのだ。それでも僕が書くのは、やはり書くというその行為自体から僕が癒しを得ているからだろう。そしてなんといっても、夜は長いのだ。はっきり言って、暇だ。書くことはいい。自分の不勉強に苛立ちはするが、それを差し引いても良いものだ。先日久しぶりに会った祖母にもそのことは話した。祖父の死去とともに住み慣れた三重県を離れ、知人もいない京都の長女のところへ引き取られていったかわいそうな祖母。聞いた話では、家での会話はほぼ皆無。娘からの叱責だけがコミュニケーション。日々の生活の鬱憤を話す祖母は思わず涙を浮かべていた。そして孫の僕はといえば、何もしてやることもできず、ただただ話に頷くのみ。申し訳なさはあるにせよ、自分自身のことさえさっぱり面倒のみれないクズにはどうしようもない。

 わからないものだ。一昨年の初めまでは全てが順調だったのだ。いや、そうとも言えないが、祖母はそれなりに自分好みの生活をしていたのだ。しかし夏を過ぎてから祖父の認知症が急速に進行し、僕も一度見に行ったのだが、深夜に枕を抱えて家の中を歩き回っては「殺される」と叫び通しだった。なんでも昔悪いことをしたツケが今になって返ってきたらしく、祖父を殺しに当時の仇が狙っているらしいのだ。彼の後ろを一緒になってついて行っては窓の外を双眼鏡で眺める僕に対して祖母は何を思っただろう。実を言うとあの一日きりの体験は、僕にとってそれなりにおもしろいものだったのだ。しかしそれが毎日となると、耐えられる人間などいないだろう。僕は祖母が好きだ。そしてその時、彼女は癌だった。

 そもそも祖父の認知症が極度に進行したのは、祖母が癌になったことが原因であった。今まで好き勝手生きてきた祖父は、そんな自分を唯一見放さず、帰る場所として存在してくれていた祖母の病気に動転したのだろう。そして今になって気づいたが、僕はそんな祖父によく似ていた。さらに言うと、生前祖母に心労ばかりかける祖父のことが、僕は心底嫌いだった。

 祖父は作家を目指していた。祖母にはよく「大阪のドヤ街に飛び込んで人々の生活を観察したい」と語っていたらしい。突然知らない人を連れ帰ってきたかと思うと、祖母の許可も取らずに寝泊まりさせ、後から聞くと刑務所から出てきたばかりの人だったということも何度かあったらしい。彼が人間の何に興味を持っていたのか、僕には少しわかるような気がする。そして彼は実際にある日突然姿を消したことがある。

 祖母はいく日も心配しながら彼の帰りを待ち続けた。彼女には理由がわからなかった。しかし彼は実際にそこから姿を消したのだ。その事実だけが唯一彼女に理解できたことだった。それから半年後、祖父の兄から祖母に連絡が入った。どういうツテで見つけたのかはわからないが、祖父は神戸の港町にある工場で日雇い労働者としてその日暮らしを送っていた。その一報を受けた祖母は仕事を休むとすぐさま駆けつける。

 走り書きのメモを手に、祖母は工場の用意する宿舎にたどり着いた。管理人に問い詰めると、彼は今勤務に出ている、帰るのを待つのを許すという話だったので、祖母は宿舎の前で五時間も立ちっぱなしで祖父の帰りを待った。そしてようやく、送迎のバスが宿舎にやってきた。土気色に汚れたよれよれの作業着を着て目の前に降り立った祖父を見て、彼女は何を思ったのだろう。それは僕には計り知れないことだが、彼女は一言こう言った。

「さあ、帰りましょう」

 なんだかんだと言い訳を並べる祖父だったが、音沙汰がなくとも半年間健気に待ち続け、目の前で怒り出すわけでもなくただ「帰りましょう」と静かに訴える妻を追い返すことは、どんな人間にもできなかったのだろう。最後の抵抗か、祖父は目を泳がせてこう言った。

「上着をクリーニング屋に取りに行かないと」

 たいしたもんだ、と祖母は思ったらしい。半年の失踪の、なんと滑稽な幕引きだろう。

 そんな祖父だが、結局自費出版で本を一冊出した以外に、作家として作品を世に送り出すことはなく人生を終えた。しかし正直に言って、僕は彼のことは嫌いだが、死後引き取った彼の著作のことは好きなのだ。これは非常に悔しいことだが、彼の文章は素直さと哀愁にあふれていて、どういうわけか僕の胸に真摯に届くのであった。原稿用紙に綴られた物語は、その達筆さゆえにそのような文字に慣れていない僕には読みづらいところもあったが、文章自体はとても読みやすく綺麗なものだった。祖母は彼がいつでも肌身離さず辞書を持ち歩き、文机に向かって誰に向けてでもない文章を綴っている姿を半世紀以上見続けていた。そんな祖母が最も胸を痛めたのは、認知症の末期、生涯愛用していたその辞書を、祖父が彼女の目の前で無残に破く姿だったと言う。

 おそらく、それは彼の愛ゆえにだったのだろう。自分の消えゆく命を確かに感じ、そしてその死に、愛する言葉を連れて行きたくなかったのだろう。火葬の折、自分の屍の隣にその辞書が添えられるなどということに耐えられなかったのだろう。全ては僕の想像でしかない。僕は祖父とほとんど言葉をかわすことがなかったのだから。けれど、きっと彼は自分の人生をこの世に残すために、その辞書を生きているうちに始末しなければならないと、それが生涯の相棒に対して自分が示すことのできる最後の愛だと思ったのではないだろうか。しかしそれはつまり、彼が祖母よりもその辞書と言葉を愛していたということになってしまうのかもしれない。祖母をより愛していたのなら、その辞書を自分の分身として彼女に残しておくことも考えられたのだから。いや、こんなことを言葉にする必要はない。それは言葉を超えたものだから。頭の狂った老人が最後に何を考えていたのか、それは誰にもわからない。けれど祖母がいたからこそ、祖父がきちんと死ぬことができたのは確かだ。僕は祖母を愛している。

 先週から、祖母の抗がん剤治療が再開された。治療の辛いところは食べ物が美味しくなくなることだと彼女は言った。何もすることのない老人にとって食事というのはほとんど唯一の楽しみなのに、と嘆いていた。

 僕の小説が祖母の生活を少しでも楽しませることができればとは思ったが、今自分の書いている文章を思い出してみて、それを言葉にすることは控えることにした。だから僕は祖母があまり理解できなかったと言う祖父の小説を読み、彼がどのようなことを考えながらその文章を書いたのか、僕が思うことを話してあげることにした。そうしながら祖母はその時々の出来事を思い出し、涙を流すこともあった。今僕にできることはそれぐらいのことであった。

 祖母に「書いてみたら」と言ったのも、実は僕自身が祖父母の物語をもっと知りたいと思ったからだ。そして思うに、書くと言う行為には人を癒す力があり、書かれることが過去であったとしても、それは明日を生きる力になると、僕は信じているのだ。生きているうちに話し合うことができなかった祖父と、僕はどんな会話をするのだろうか。彼は言葉をたくさん知っているから、僕は馬鹿にされて腹を立てるかもしれない。それでもそれはのちの人生にとって、楽しいひと時になるような気がする。生きるというそのことだけで、人は多くのものを生み落とすものだ。それはほとんど塵芥でしかないものかもしれないが、僕のようにそれをかき集めて紙に巻き、煙草をくゆらせるように楽しむおかしな人間もいるかもしれない。

 さて、今日も朝が来た。それはとても素敵なことなのかもしれない。奇跡的なことなのかもしれない。今日は珍しく頭がスッキリとしている。どうしてだろう。やはり文章を書いていたからだろうか。それならば、せっかくなので散歩でもして、新しい服を買い、女の子を誘ってみてもいいかもしれない。まずは顔を洗って髭をあたろう。生きて、行動し、何か話をする。そうやって人生は回っていく。意味なんてなくても、僕らは回り続ける。祖父のように、僕の言葉はどこにも届かないかもしれない。しかしそれは、まだ決定されたことではない。それは過去ではなく、未来の話なのだ。いや、もしかすると、もう一つの世界の話になるのかもしれない。しかし僕らはここにいる。

 僕らの命はまだどこにも記されていない。今僕らが記している命の言葉を、いつかの誰かが読むことはあるのだろうか。それもわからない。わからないからこそ、それは希望であり続ける。命は回る。祖父の言葉が、彼を嫌う僕にまで届いたように。生まれ落ちたその瞬間から、僕らは回り続けている。ダンス、ダンス、ダンス。そのステップが、僕らの言葉。

 西成にきたのは昼頃だった。高架上の××駅から下の道に降りると、私は前を行く人の背中について歩いて行った。ガードレール下に出た。そこを抜けると、急に騒がしい場所に出た。手ぬぐいで鉢巻をした男が、道端に雑多な衣料品を積み上げ威勢良く叩き売っており、何人かが品物を手にとって調べていた。そういう光景があちこちでみられ、人も多く出ていた。その叩き売りをやっている前を通って少し行くと、交差している広い通りへ出た。私は、その通りを信号に沿って向こう側へ渡り、それから歩道を右へ歩いて行った。左へ行ってもよかったのだが、私には左へ行く人よりも右へ行く人の方が多いように思えたので。

 歩道の左側には、八百屋があり魚屋がありパン屋があった。小さな食堂もあった。車庫のような見物があり、なかには自動洗濯機が並んでいたが、使用している人の姿はなかった。歩道の右側の電柱には<人夫募集>の張り紙があった。一本の電柱に別の募集の張り紙が三昧も四枚も貼ってあるのがあった。どれも寮付きで、雇い主の電話番号だけが大きく書かれていた。

 基幹道路に出た。中央分離帯を挟んで車が反対方向へ疾駆していた。道路の向こうには高層ビルが立林し大都会が現出していた。そこは私には縁のない世界だった。私はそこを左へ折れた。やはりこれまでと同じような個人商店が並んでいた。と、前方から異様な風体の二人連れがふらふらしながら歩いてきた。にたりとも灰色の踝まである長い重そうなオーバーを着て、ゴム長靴を履き、垂れ下がったぼさぼさの髪をしていた。ふらついているのは泥酔しているせいらしい。すれちがいにみえた顔はどす黒く、垂れた髪の間に白く細い死んだような目が見えた。私は、そのあとも何人かの薄汚れた泥酔者とすれちがった。

 私にとってさしあたりいちばん必要なことは、今夜のねぐらを確保しておくことだった。知らない土地で、それに所持金も少ないとなれば、その日のねぐらの決まっていないことほど不安なことはない。それに、私はひどく疲れを感じていた。どこかからだが悪いのではないかと思うほどだった。そのために、早くどこかでからだを横たえたくて仕方がなかった。

 歩いていると、露地への入り口のようなところがあった。私が覗き込むと奥の方に<旅館>書かれた小さな看板が見えた。私はすぐにその露地に入っていき、<旅館>の看板を目当てに歩いていった。旅館はすぐに見つかった。玄関先に宿泊料金の表示があり、最低が一泊三百円で、六百円、八百円、二千円になっていた。

 玄関が開いていたので私は黙って中へ入って行ったら奥から若い女が出てきた。

「何か用?」

 女はいかにも胡散臭そうに私の顔を見詰めた。

「部屋を借りたいのだが」

「満員よ」

 私は、これ以上何を行っても無駄であることがすぐにわかった。

 私はそこを出たが何も心配することはなかった。その辺りには、よく似た旅館がいくつもあったのだ。私は、またそのうちのひとつに入って行った。こんどは年配の女が出てきて「三時からしかやってないよ」とぶっきらぼうに行った。私は、それなら三時以降にまたくるからそのとき頼みたいと念を押した。女は黙っていた。どうやら、この辺りでは、旅館は昼の三時からしか開かないようだった。初めの旅館で断られたのも、まだ時間が早かっただけのせいかもしれない。若い女が胡散臭そうに私を眺めたのも、こんな早い時間からと思っただけのことで何のこともなかったのかもしれない。とにかく、ねぐらだけは何とかなりそうで、私も少し気分が楽になった。

 私は、時間つぶしにその辺りを少しうろついていることにした。何しろ、まだ昼過ぎである。いくら疲れているといっても、三時までそこに立っているわけにもいかない。

 歩いていると、賑やかなアーケード街に出た。中へ入っていくと、両側の商店の前の路上にいろんなものを並べてジャンバー姿の男が通行人に売っていた。時計やらバンドやら財布やらそうした類の小物が多いようだった。とにかく雑多な人間がぞろぞろと歩いていたなかでも、ジャンバーにゴム長靴姿という労働者風の男が多かった。パチンコ店も多く、喧騒を道路へ響き渡らせていた。

 おでん屋があって労務者が群がっていた。そのおでんのにおいが、私に今朝からこれといったものを口にしていないことを思い出させた。私のふところには一万円札一枚と千円札が一枚と、それに小銭が少ししか残っていなかった。私は、小銭の分だけででもおでんで一杯やりたい誘惑にかられた。私はそこに立ち止まって小銭がいくらあるか数えて見た。そうしたら、しわだらけのお婆さんが私の顔を下から覗き込んできた。そして、目をパチクリとさせてみせた。「五千円でいいよ」

 私ははじめ、婆さんは私をそのおでん屋へ誘っているのかと思った。(私の頭のなかはおでんを食いに入るかどうかのことしかなかったので)しかし、それにしては金額の高いことに気がついた。私は「女より泊まるところはないか」と訊いた。「ある」婆さんは私を横道へひっぱっていった。ちょっと不安だったが、婆さんのあとについて行くとすぐに旅館に着いた。婆さんは私を玄関の前に待たすと自分だけなかへ入っていった。なかから婆さんと一緒に旅館の主人らしい割烹着をはおった四十すぎの女の人が出てきた。

「千八百円の部屋しか空いてないよ」とその女は私の顔を見ながら言った。「それでいいよ」と言うと、すぐその女の人は私を旅館内に入れ、狭い廊下を二階へ案内していった。いくつかある部屋のひとつ戸を開けると、この部屋だといって私をなかへ入れた。そして、前払いだからと言って千八百円を要求した。女主人が去っていくと、私は、ここまで案内してきてくれた婆さんに礼を言うのを忘れたことに気がついた。すまないことをしたと思い、もう一度下までおりていこうかとも思ったが、多分もう婆さんはいないだろうと考えて諦めた。

 部屋は四畳半だった。畳は黒く、ふとんが一組み敷いてあった。どういう意味かまくらだけが二つあった。ふとんを入れるためらしい押入れがあったので開けてみようとしたが、何か閊えているようで開かなかった。とにかく疲れているので寝ることにして(ほかにすることもなかった)上着を脱いだ。そして、思い出して入り口の戸に施錠をしておこうとしたが、錠は壊れていてできなかった。諦めて敷きっぱなしのふとんのなかへ潜り込んだ。湿っぽくてそれに変なにおいがした。

 少し眠った。眼が覚め腕時計を見ると三時半だった。眠っているあいだ、旅館の外をザワザワと人の歩き回る音がしていた。夢うつつに、自分は温泉客がゾロゾロと歩き回っているような錯覚がしていた。パトカーのサイレンの音がした。眠っているあいだにも、何回かきいた気がした。

 すこしでも眠ったせいか、少し疲れがとれたような気がした。まだ夜まではだいぶ時間があった。私は、それまで外へ出かけてみることにした。所持金も先程ここの宿泊代を払ったいまは、もう一万円を切っていた。このまま、部屋のなかでじっとしている気にはなれなかった。

 旅館を出ると、あちこちをあてもなく歩き回った。頭上を効果が走る狭い路を歩いていたら、前方で労務者風の男がふらふらしていた。よほど泥酔しているとみえ、道路を端から端へとふらついているだけなので、向こうへ歩いて行こうとしているのかこちらへ歩いてこようとしているのか分からなかった。私が近づくと、男は突っ立って動かなくなった。頭を垂れ眼をふさいでいるので眠っているふうだった。私がその横を通り抜けようとしたら、男が「オッサン!」と呼び止めた。私がギクッとして立ち止まり男の方を見ると「その新聞、くれ」と、頭を垂れ眼をふさいだまま言った。

 私は、道端で拾った古新聞を手にしていた。何かいい求人広告でも出ていないかと思ったのだ。男は、頭を垂れ眼をつむっているくせに、私の手にしている新聞を眼にしていたのだ。私は、求人広告の載っているページを一枚破りとってから、その新聞を男に黙って手渡してやった。男は、うつむいたまま黙ってそれをとると、ズボンのバンドを外しはじめた。私が数歩言ってから振り返ると、男は、道ばたにしゃがみこんでいた。糞をしているらしい。

 歩き回っているうちに辺りがうす暗くなってきた。工事現場の塀があって、そこに、前に電柱に貼ってあったと同じ人夫募集の張り紙が何枚もベタベタと貼ってあった。そのなかに<アパートの管理人募集。給与十七万円>というのがあった。私は、その張り紙にある電話番号を、一枚だけの新聞のハシにメモした。その辺は公衆電話がありそうなところではなかったので、少し行って人家のあるところへでてから公衆電話を探し、そこから電話をかけてみた。

 おばあさんらしい相手がでた。

「……どんなことをするんですか」

「アパートの住人が、部屋代を夕方から夜十二時ぐらいまでに持ってくるから(どうやら部屋代は日払いらしい)それを受け取っておく仕事だよ」

「それで十七万円ならいいな。それたのむよ」

「十七万は夫婦者だよ」

「なんだ。こちらは一人なんだが」

「一人のもいまあるよ。十一万だけど」

「それたのむよ。それで条件は?」

「保証人が一人いるよ」

「それがいないんだが」

「それでは駄目だ」

 電話が切られた。私はここで仕事にありつこうと思ったら、少なくとも始めからはまともなものは無理らしいと察した。

 あてもなくまた歩き回っていたら、変なところへ出た。その一郭は、どの家も格子戸の同じ造りだった。どの家の玄関も開かれていて、土間の向こうの部屋に着飾った若い女が座布団を敷いて座っていた。私がその玄関の前を通ろうとすると、どの家からも中からおばあさんがとびだしてきた。そして「兄さん、チョット見たってえな」と中の若い女の方へ顎をしゃくった。いくらだと訊いたら六千円だという。「またにするよ」と言って私はその界隈を早足に通り抜けた。なおも歩いているうちに(知らぬうちに日はまったく暮れてしまっていた)飲屋街に入り込んでいた。飲屋街といっても、ビルなどなく一軒家の小さな店ばかりだった。まだ時間が早いせいだろう、店の中に殆ど客の姿がなく、どの店の前にも客引きの女が立っていた。そしてどの女も私を誘った。「千円でいいよ」「一杯だけだよ」と言った。こちらは飲める状態じゃないんだ、と言ったら、女に横を向いて黙殺された。「仕事を捜しているんだ」「仕事ならあるよ、飲みながら話そうよ」「遊んでいってよ、三千円でいいワ」「ダメだ、仕事を見つけてからだ」「仕事なんかしなくても私のうえにのってたら三食昼寝付きさせたげるよ」と肥えた女が媚びた流し眼をして笑った。そのうちに、飲屋街もとぎれ、なおも歩き続けていると、なかで大きな建設工事でもしているらしくパネルで片側をずっと囲った道にでた。そこを歩いていくと、前方の路上に人だかりがしていた。近づくと、一人の労務者風の男がパネルの塀を背にして木箱に腰掛けていた。その男を二十人くらいの労務者が取り囲んで笑っていた。木箱に腰をかけた男も、それを取り囲んでいる労務者の方も殆どがだいぶん酔っ払っているようだった。取り囲んでいるうちの、前列の道路に尻をおろしている連中のうちの一人が、囲いのなかほどに置かれた小さなダンボール箱のなかへ十円玉を放り込んだ。誰かが流行歌の題名を大声で言った。すると、木箱に座った男が片手に持っていたハーモニカをちょっと拝むようなしぐさをしたが(彼はそれで曲を憶いだしているのだと思うが)すぐにその流行歌を吹きだした。男が一曲吹き終わるとまた誰かが十円玉を放り、誰かが曲名を注文して、男が吹いていた。男が背にしているパネルの塀には人夫募集の張り紙が一枚下半分ちぎれたまま張り付いていた。

 私は、そこを離れてまた歩き出した。そして、また人家の密集した通りへ出たが、ちょうど一日の仕事が終わった頃の時間だったせいか、どこの酒屋も立ち飲みの労務者でいっぱいだった。私も、そのうちの一軒の酒屋に入っていった。歩き回って少し疲れていたし酒も飲みたかったが、あてもなく歩き回っているより、人の集まっているところの方がまだしも何かきけるかもしれないと考えたのだ。入ってみると、中は思ったより広く、労務者でいっぱいだった。私はカウンターのいちばん隅へいって一杯注文した。L字型になった向こうのカウンターで、坊主頭の若い男がさかんに喋り捲っていた。こういうところでは、どこでも話題の中心になっている者が一人か二人いるものである。私も、きくともなしにその若い男の話をきいていた。

「西成へ来るもんは、みな、親不孝をして逃げてきた奴ばかりや」

 みな笑った。私は、左隣の若い男に、何か仕事がないか訊いてみたかった。が、となりは私に背を向けたまま、坊主頭の方の話にばかり興がっていて、どうしても話しかけるきっかけがつかめなかった。仕方なくひとりで飲んでいると、隣の若い男が帰っていき、かわりに髭面のおじいさんが割り込んできた。私は、飲み出したじいさんをすこし観察していたが、じいさんは若い坊主頭の話には少しも興味を示さなかった。そちらの方を見ようともしない。「仕事を捜しているんだが……」と、私はじいさんに言ってみた。

「そんなことわけねえ、センターへ行け」

「センター?」

「そこへ行けば、労務者をいくらでも集めに来とるよ」

「それが、まだここへきたばかりなんでよく分からないんですよ」

 私は、じいさんに一杯奢った。つきあいに私ももう一杯注文した。

 じいさんは私の顔を見直した。それから、私の格好を足元から見上げた。「ここでは何だからこれを飲んだら出よう」と。じいさんは言いながら私のコップ酒を口にもっていった。

 コップ酒を飲んでしまうと、じいさんと私は酒屋をでた。外はもう暗くなっていた。二人で歩いて少し行くと、空き地があった。そこへ入っていったが、腰をおろせるような場所はなかったので、二人で地べたへしゃがみこんだ。そこでじいさんが教えてくれたのは次のようなことだった。

 センターへ朝早く行って待っておれば、業者がマイクロバスで迎えに来てくれるから、それに乗り込んで行けば現場に運んで行ってくれるそうで、一日仕事をさせてくれる。仕事が終わればその日の日当を現金で支払ってくれ、またもとのセンターまでバスで送って来てくれる。こういう一日労働契約と、もうひとつ、十日契約というのもあるらしい。この方は、十日間働くという約束で、賃金も十日間働いたあとでしか支払ってくれないが、その代わり寮もあって、そのあいだは寝ることも食うことも先方で面倒をみてくれるそうだ。

「十日契約の方なら京都と神戸の両方を知っているが、京都の方がいい。京都の方は寒いのだけがかなわんが、神戸はガラが悪い。アンコ(一日契約の方をこういうらしい)では、毎日宿賃がいるし、ときには遅くなったりすると満室で断れれて青カンをせんならん。今時は寒いので、誰でも宿を欲しがりそのためよくあぶれるのだ。寒いときの青カンは身体に堪えるからな」とじいさんが言った。さきほどの酒屋で、坊主頭の若い男がさかんに青カン青カンと言っていたが、そのときは青空のもとで姦することだと思っていたが、じいさんの話のなかでは、ただ外で寝ることだけをいうらしい。

「働きたいのなら明日センターへ連れて行ってやろう。ところでいまどこにいるのや」

 私がこういうところに宿をとってあるというと、「何!千八百円も!よし、そこへ行って断ってしまおう」とじいさんが怒って言った。「今夜はワシのところへ来い。ワシの部屋へ寝かせてやろう。それから、あしたの朝センターへ連れて行ってやるよ」

 じいさんは、その空き地の隅に自分の自転車を置いていた。私は、その自転車をひいて爺さんをうろ覚えの道を通りやっととってある旅館まで案内した。じいさんには入り口の前で待ってもらっていて、ひとりで中へ入って行って、女主人に知り合いのところに泊めてもらうことになったからと言って引き上げたい旨を伝えた。「払い戻しはしないよ」と女主人が言った。私は、それなら明日の朝の十時まで部屋をとっておいてほしい、ひょっとしたら朝方でも戻ってくるかも知れないから、と頼んだ。じいさんが今は自分のところに泊めてやると言っているが、成り行きでどんなことになるか知れたものではなかった。夜中に追い出されでもしたら、せめてここで顔でも洗わせて欲しいと思ったのだ。

 旅館を後にする前に、もう一度だけ部屋を見ておこうと思った。何を置いてきたというわけではなかったが、払い戻しもなかったのでなんとなく名残惜しい気持ちになっていたのかもしれない。私が部屋の扉を開くと、そこには何故か着飾った若い女がいて、こちらに向け微笑んで手を差し出した。

「お待ちしておりました、さあ」

「持ち合わせがないんだよ」

「お題は結構です。さあ、こちらへ」

 女は私がどうしても開けられなかった押入れをいとも簡単に開け、どうやらそこへ招こうとしているのだった。なんとも妙な事態になったと思ったが、私はとりあえず女に従ってみることにした。酒が回っていたのかもしれない。

「頭に気をつけてください」

 女の心遣いに感謝しながら押入れの中へ踏み入れると、奥からハーモニカの音が聞こえてきた。それは先ほど道端で聞いた流行歌を奏でているようであった。私は無意識にズボンのポケットに手を入れると、そこから十円玉を取り出して前に投げた。闇の中へ飛び込んで行く十円玉が、その軌跡に光を灯すように、辺りは突然明るくなった。そこはどこかの飲み屋のようだった。

「こちらへ」

 女の案内で私は席に着いた。わけがわからなかった。それに、外にじいさんを待たせている。私はどこかへ行こうとした女を引き止め、自分はこんなところにはいられない、と伝えた。彼女は柔らかく微笑んだだけで、なんの返答もくれなかった。辺りを見回したが、帰り道がどこか見当もつかなかった。仕方がないので私は目の前に運ばれてきた酒を飲んだ。うまかった。

「この十円玉を投げたのはあんたかい?」

 気がつくと、目の前にハーモニカ男が立っていた。私はそうだと頷いた。男は「リクエストは?」と訊いたが、私は特に考えがなかったので「なんでもいい」と首を振り、酒を飲んだ。

「なんでもいい、か。そんな気持ちでこの街へ来たのかい?」

 私は酒を飲む手を止め、男を見上げた。

「怖い顔するなよ。別に説教しようってわけじゃない。俺も似たようなもんさ。しかし、あんたは特に匂いがしないな」

「匂い?」

「目的の匂い。なんのために生きるのか、自分はどこへ行こうとしているのか。人間というのは多かれ少なかれそんなことを考えて生きているもんだ。しかしあんたからは何も匂わねえ。空っぽだ」

 空っぽか、と私は笑った。その通りだと思ったからだ。妻があり、子があり、仕事があったが、私にはよく分からなかった。私はいつも自分の中の空洞が立てる音に耳を塞ごうとしていた。人と関わり、優しさや思いやりを感じるたびに、その空洞が私を苦しませた。私には誰かに返すことのできるものが何もなかった。努力はしたが、虚しさが残るだけだった。白いページがどこまでも続いていく、そんな恐怖と罪悪感に堪えられず、私は家を出る決意をしたのだった。男は私の前の席に腰を下ろした。

「ひとつ、いいことを教えてやると」

「それは、十円の対価か?」

 男は笑って「そう思ってくれていい」と言った。

「お前は、ひどい勘違いをしている。お前が過ごした漂泊の日々に、何も残っていないと思ったら間違いだ。お前がそこから完全に切り離されることはない。お前は何も求めず生きようと思っているかもしれないが、そんなことはできない。そして、何も求められずに生きることもできない。今でさえお前はこの世界に属し、この街に属し、この店に属している。そして、今俺の話を聞いているお前は、俺にも属している。あそこにいる女の視界に属している。足元のゴキブリの意識にも属しているかもしれない」

 私は驚いて足を上げた。そんな私を見て男は笑った。そこには何もいなかった。

「三千円でいいよ」

 私の隣に来た若い女がそう言った。私は「金がないんだ」と言った。

「保証人はいるの?」

 何のことか分からなかったので私は黙っていた。すると女は突然私の腕を掴み、引っ張り起こした。

「帰りな」

「帰り方がわからないんだ」

 困惑する私を急き立て、女は私を店の入り口の方へ連れていった。後ろで男がハーモニカを吹いているのが聞こえた。そして背中を押し出され、どうしたもんかと振り返ると、そこは私が借りた旅館の部屋だった。私はもう一度押入れを開けようとしたが、閊えているようで開かなかった。どうでもいいことだったが、私は、酒代を払っていないなと思った。

 外で待つじいさんのところへ戻って「断ってきたよ」と言ったら「部屋の払い戻しをしてきたか」と訊かれた。私が「払い戻しは効かなかった」と言ったら、じいさんは、そんなバカなと言って、自分の金が払い戻されなかったように怒り出した。私は、金は戻らなかったかわりに部屋の権利を保留してきたということは黙っておいた。

 私は、雨がアパートのどこかへ当たる大きな音で眼が覚めた。もう朝方らしい。雨降りでは仕事に行きたくないなと思ったり、じいさんはこの雨でも仕事に行けというのかなと思ったりしながら眼を開けて寝ていた。そのうちに、じいさんが起き出した。「さあ、出よう」じいさんは、私に先にアパートを出ていって外で待っていろという。「静かに行くんだぞ」

 私は、どろぼう猫のように足音を立てずに廊下を渡り、アパートの外の階段を、外はまだ暗く雨で濡れているので、来た時以上に用心をしながら下りた。階段の下の露地を挟んで反対側にも同じような古木造アパートがあった。

 じいさんが傘を差して階段を下りてきた。二人でじいさんの傘のなかに入り、雨の中を歩いて行った。傘は私が差していたが、なるべくじいさんの方へ差しかけるようにし、じいさんが濡れないように気を配っていたので、私の外側の方はびっしょりになっていた。じいさんは、センターへ行くのだと言っていたが、歩いていく道は昨夜じいさんと歩いてきた道で、そのうちに昨夜じいさんと初めて会った場所へまた戻ってきただけのことである。ただひとつ驚いたことがあった。それは、この早朝に、どこの酒屋も立ち飲みの客、といっても殆ど労務者だが、で溢れていることだった。大きな一軒の酒屋の前まできたとき、じいさんが「ここは安いからな」と言って私に入るよう促した。広い店内には三十人以上もの客が立ち飲みをしていた。やはりここも殆どが労務者で、二、三人で仲間を組んで飲んでいた。なかには、コートを着た、会社勤めとわかる客もいたが、そういう人は電車に乗る前にちょっと一杯というところか、一、二杯いそいでひっかけるとそそくさと出て行った。どちらにしても、私には、これから一日が始まろうとする早朝の風景とはとても思えなかった。この店にも長いカウンターがあって、なかに店主らしい人がいて自分の近くの客に酒を注いでいた。そのほかにも女の人が三人いて一升瓶をかかえ客に酒を注いでまわっていた。カウンターの向こう隅にガラス戸棚があって、中に行く種類かの肴が皿に盛られていた。客はそのなかから自分の好みのものを選んで取り出してきた。じいさんと私も一皿づつ取ってきた。どれも五十円にしては量も多く、種類も豊富だった。どこの酒屋も客は入っていたがだいたいが小さな店だった。ここはそれらの店と違ってずっと広い店内になっていたがそれでも客が溢れているのはどうやらこの酒の肴のせいのように思えた。じいさんのようなアパート住まいや、その日その日の宿屋暮らしでは朝食もとらずに出てくる連中が多いだろうから、ここの店のこの肴はなんともありがたいことに違いない。じいさんと私はここの店で酒を二杯づつ飲み、割り勘で払ってそこを出た。そしてまた私が傘を差しかけて歩いて行った。かなり大きなコンクリートの建物の前を通ったとき私はじいさんに「ここは区役所か」と訊ねた。

「区役所?何でこれが区役所なんや。これは西成警察署やないか。西成でいちばん怖いとこや。とっ捕まってここへひっぱられてこられたら撲り殺されるんやぞ!お前は何も知らんやつやな。そのトシで阿呆と違うんか」と怒って言った。その怒りは、どうやら<警察>という、じいさんの側ではまったく無力でしかない存在に対してのもののようだった。じいさんの信念では、西成警察署は、こちらの道理や言い分がまったく通用しないところ、むこうの考えや都会だけでどんな行為も許されているところなのである。それも、法律的にである。だから、ここは西成でいちばん怖いところなのである。

 ところで私たちは、雨のなかをやっとセンターに着いた。センター、これはいったい何なのだろう。私にはよく分からなかった。職を世話してくれるところだとじいさんが言うのだから職安ということなのだろう。センターと言うのだから、正式には<中央職業安定所>とでも言うのかも知れない。どちらにしても、たかが職安のことだから、ちっぽけな木造の建物で、朝から労務者がその建物の前に集まり、それを手配師とやらがやってきて欲しい頭数だけをトラックに載せていく、私はそれぐらいのことをここへくるまでは想像していた。

 センター。現実にいま眼にしたそれは、そんな想像したものではなかった。それは、ひと口にいうと、私には大都会の中央駅みたいに思えた。それも特別大きな駅である。私は、東京やそのほかの都会の大きな駅を知っているが、そう言う駅では、朝早くから夜遅くまで大勢の人が集まってくる。この、でっかい駅みたいな建物へも、まだ朝が早いというのに大勢の人が集まってきていた。いや、群がってきていたという方が適切かも知れない。それに彼らは、本当の駅に集まってくる人たちよりも、いささかむさくるしい格好をしていた。

 私たちは建物の中へ入っていった。私は何か異様な世界へ入り込んできたような気がした。大げさにいっているのではなく、この早朝に、そして雨降りだというのに、この建物のなかへなんと大勢の労務者が群がってきていることだろう。じいさんの話だと、ここへは一日五万人が集まってくるという。その数にも驚くが、こんな早朝になんだってこんな大勢が集まってくるのだろう。

 二人はまず便所へ入った。じいさんの方が先に出て、私は手をよく洗ってからそのあとを追った。しかし、便所の前にじいさんの姿はなかった。私はしばらく捜してみたが、それ以上どうしようもなかった。私の手には、じいさんの傘があった。

 私はセンターのなかへ入るときに、作業者を集めに来ているらしいマイクロバスが三、四台停まっているのを見ていた。それで、私は外に出て、眼にしておいたマイクロバスの一台に近づいていった。

 そのマイクロバスには誰も乗っていない様子だった。私はバスの前に回ってみた。すると、フロントガラスに紙張りの看板が立てかけてあった。それには<五千五百円。十日間、食い込み>と大きく書かれ、左下に小さく<神戸市××区・信和土木>とあった。

「おっさん、どないや?」

 いつ寄ってきていたのか、白いネックのセーターに革ジャンバーを着た男が、突っ立って看板をみていた私に声をかけてきた。

 男は、革ジャンバーのポケットに両手を突っ込んでいた。

「食費を引かれるといくらになるの?」と私が訊いた。

「食い込みやから。食い込みで五千五百円や」

「寮はあるの?」

「ありまっせ。一部屋に三人どすけど、きれいな部屋がありまっせ」

 今の私には、それで十分だった。私が頷くと、男は私にマイクロバスに乗るように言った。私がバスに乗ろうとすると「コーヒーはどうどす?」と男が言った。私は、コーヒーは飲まない主義だった。それを言うと「では、酒の方?」とまた言った。私は、何のために男がそんなことを訊くのかわからなかったので、そのまま黙って誰もいないバスのなかへ乗り込んだ。窓際に座ると、革ジャンバーの男がセンターのなかへ入って行くのが見えた。男はすぐにセンターから出てきて、こちらへ歩いてきた。男はバスのなかへ入ってくると、私にカップ酒一個と茹で玉子一個をくれた。センターに入っていったのはこれを買いに行ったのだと分かった。私はカップ酒を飲み玉子を食べながら、じいさんの言っていたことを憶いだした。十日間の契約で京都と神戸に行くのがあると言っていた。京都は寒いが神戸はガラが悪いとも言っていた。このバスは、ガラの悪い方だったが、今の私にはそんなことはどうでもよかった。それに、こうして行くところに、まさかガラのよいところがあるとも思えない。そう割り切ると、私にはむしろ寒いことの方がかなわない気がした。

 突然、バスの扉が勢いよく開き、顔を真っ赤にし、長い髪をバサバサにした若い男がとびこんできた。男はふらふらしながら最後部の座席までいくとそこへ寝転がった。革ジャンバーがすぐバスを下りていった。そして私のときと同じようにカップ酒と茹で玉子を買って戻ってくると、うしろの座席の若い男の方へ持っていった。革ジャンバーの手慣れた態度からみて、若い男はこのバスの常連のように思えた。私が、ちらっと振り返ってみると、男は起きてカップ酒を飲んでいた。前に垂れた長い髪のあいだから細い眼が覗いており、それが私にはジャック・バランスに似ているように思えた。少ししてまた私が振り返った時は、もう寝転がっており、バスが動き出してからも起きる様子はなかった。そのあと、バスが神戸に着くまで、ジャック・バランスは身動きひとつする気配もなかった。

 バスが動き出す直前に、五十過ぎのオーバーを着た男が乗ってきた。男は全財産をそこへ詰め込んでいるような大きな鞄を持っていた。革ジャンバーは、その男のときはちらっと視線を走らせただけでバスを下りていかなかった。私はこの男もバスの常連なのだろうと思った。

 マイクロバスは三人だけを載せて走っていた。革ジャンバーは手配師兼運転手らしい。最後に乗ったオーバーの男は、何故かひどく元気がないように見えた。

 バスはしばらく走ると大阪を出て神戸へ入った。いつのまにか雨はやんでいた。窓の外の景色がいいので、窓際の私は窓の外ばかり眺めていた。私の手にはまだじいさんの傘が握られていた。

 

 

最後の散歩

この雪山の宿で迎える最後の休館日となった。あと一週間すれば私は長野県を後にして地元へ帰る。休館日には食事が配給されないので、朝から雪道を降りホテルのラウンジにあるカフェへ向かった。

いつも通りパン・オ・ショコラを二つ買い、窓辺の席でゆっくり食べた。雪道散歩でまだ息が上がっているので、あまり急いで胃に詰め込むと吐き気を催してしまうことは学習済みだ。

コールドウェルの「作家となる法」を読みながら、寒さに凍えた手を温めた。わざわざ重たいカメラを持って降りてきたはいいが、あいにく景色は雪雲に覆われ殆どくすんだ灰色の世界だ。

二時間ほど彼の作家としての履歴書を読み進め、改めて作家になることへの心構えを考えた。やはり私は職業作家になるには考えが甘過ぎ、何も行動できていないも同然であった。

つまりそれは、これからやるべきことがまだたくさんあるということ、できることが山ほどあるということを示唆しており、行き着くところまで行っていないということを証明していた。この雪山で再度書くことを見失った私にとって、まだできることがあるということは大きな希望だった。

売店でカップラーメンとチョコレートを買った。それらは低下のおよそ1.5倍の値段にまでつり上がっていたが、この閉ざされた雪山の上では仕方のないことである。それに今日は一応バレンタインデーなので、世間の慣習にも従っておこうと思ったのだ。そう言えば昨日配給されたおやつがチョコレートだったのもそういうことだったのかと、この時ようやく思い至った。

行きではリュックの中に入れていたカメラを取り出して首にかける。しかし帰り道もこれといってシャッターを切りたくなる光景は開けなかった。腕と目の優れたカメラマンならばこの景色にも何かを見いだせるのかもしれないが、あいにく僕はただの素人だ。しかしお義理に雪雲に煙った眼下の町へ向けて一度だけシャッターを切った。

このカメラともあと一週間の付き合いだ。というのも、これは借り物であって、正社員登録をしたにも関わらず3カ月足らずで去ることになった私に憤慨している社長が土産としてくれるとは到底思えなかった。

カメラとの別れは寂しかった。何もない雪山で書くこともできず眠ることにほとんどの時間を浪費していた私にとって、このカメラと雪山を散歩することは殆ど唯一の気晴らしとなっていた。しかし三ヶ月ではまだこのレベルの一眼レフカメラを買うほどの預金は溜まっていなかった。しばらくは写真ともお別れだろう。

スキー場へ向けて凍った斜面を慎重に歩いた。風が冷たく、シャッターを切るためにポケットから手を出すことさえ躊躇われた。煙草を吸うか、風に煽られたフードを直す以外にこの冷風に素手を晒したくなかった。

体力の衰えのおかげで、短い車道を降りスキー場に辿り着くころには体が暖かくなってきた。そのためここで煙草を一箱買っておいた方がいいのではないかということに思い至る。あと数日とは言え、最近のペースで煙草を吸い続ければ残りの一箱では保つまい。煙草を我慢することは大した苦痛ではなかったが、我慢しなくてよいのなら我慢しない道を選ぶのは当然のことだろう。

というわけで、この雪山の上で僕が所持している現金は正確に残り723円となった。しかしこの地を後にして町の銀行に辿り着くまでにこれ以上現金を使う必要はないのでこれといって困ることもない。最後に自動販売機でジュースでも買える程度は残っているので何も問題はなかった。

スキー場では相変わらず質の悪いスピーカーが大音量で流行歌を流している。これはスキー客の遭難を防ぐ目的でもあるのだろうか。いずれにしても静かに歩きたい私としては随分とわずらわしく、無音のイヤホン耳栓がわりに付けようかと思ったくらいだが、寒さにかじかんだ手は細かい作業ができる状態ではなかった。

そしてイヤホンを付けるという行為は現在の状況ではまさしく細かい作業に分類される類のものだった。よって私は諦めて前に進んだ。

今日唯一シャッターを切ろうと思ったのは、この雪景色の中でしもやけみたいに赤茶色に佇むカラマツに対してであった。しかし何度か設定を変更しながら撮ってみても思ったような色合いは表現できず、私の両手はまたいそいそとポケットの中へ戻っていった。

さて、あとはスキー場のコースに沿って続く斜面を登り切れば帰還である。斜面の上へ向かうリフトが「お進みください」という音声を繰り返し続けている。

私は一体どこへ向けて進んでいるのだろう。

未来に対する不安はもちろんあったが、今この瞬間はそれほど色濃くなかった。旅館勤を三ヶ月で辞め、三月からは工場で三ヶ月働く予定だ。それを終えれば友人のいるタイへ長期旅行へ出かける。その先はまだわからない。

とにかく、来週仕事を終えれば、私はこの雪山とおさらばだ。そのことがまず胸を軽くしていた。そうは言っても、辞めることを伝えてからの一ヶ月はそれなりに楽しかったのだが。新しく覚える仕事もなく、先輩のO氏と辞めた後の旅行の計画を立て、昼休憩では何に妨げられることもなく眠り、夜仕事が終わると食堂に忍び込んで小説を一つ仕上げた。

ここでやろうと思っていたことの多くはやらず仕舞いに終わってしまった。カラマーゾフの兄弟を読むことや、周囲の山を制覇することなどは達成したかった。しかし特に寂しさはない。やはり私はどこにも定着できない放浪の人種なのであろう。この小さな世界から解放される喜びの方が優っていた。

そんなことじゃダメだと何人かに言われたが、そうは言ってもここでこれ以上過ごしたところで何か見いだせるとは思えなかった。

とにかく旅がしたい。ならすればいいじゃないか。

コールドウェルは多い時週に二作の短編を書いては掲載されるまで文芸誌にたらい回しに送りつけていた。書くことは尽きなかったと彼は言っている。しかし私はどうだろう。私は自分の周りの世界に何も見出せずにいた。

今書いている小説を書き終えたなら、私もしばらく短編小説を書こうと思う。週に二作。インプットもアウトプットも足りていない。もっとこの世界を知らなければならない。

書かなければ書けるようにはならない。とにかく書こうと思う。時間を文字に変えなければならない。

夜の雪道を見て帰郷を決める

煙草を吸いに外へ出た。この宿では中に喫煙所がない。煙草を吸うためには大げさな上着を着重ねて冬山の寒空へ出ていかなければならない。

指が痛くなる前に風を遮り弱々しいライターで火を付ける。別に美味しいわけではない。煙草は嫌いだ。ただ習慣として吸っているだけである。体質にもあまりあっていないように思える。一日の終わりにだけ吸うこの一本のおかげで、体と頭は一段と重さを増して気分が少し悪くなる。

それでも煙草を吸う。何故か。だから習慣のせいだ。なんとなく吸わなくてはいけないような気持ちになる。煙を空に吐き出して、そのまま星を見上げた。僕は星に詳しくない。あれだけたくさんの光が訴えかけているのに、僕はその一つとして名前を知らない。いや、それは言い過ぎだ。シリウスくらいは知っている。けれどそれだけなので、結局何も知らないのと同じようなものだろうと思ったのだ。

三段の凍った階段を注意深く降りた。凍った雪が足元でひしゃげた音を立てる。冷たい風が頬を通り過ぎ、温もりを求めるように深く煙草を吸っては咳き込んだ。

空を見上げるのも疲れる。首が痛い。だから僕は足元を見た。それからその先に続く雪道を見た。暗闇の中の雪道はずいぶんと冷たく、しかし目が闇に慣れるにつれ、その中に何かを見たような気がした。

きらめきだった。雪道に星が落ちていた。月明かりを跳ね返し、きらめく星が雪道の上であちらこちらに瞬間を映していた。

まるでヘンゼルとグレーテルのようだと思った。しかしこれはどこへ向けての道標なのだろう。僕はどこから来て、どこへ行くというのだろうか。雪上の道標は僕をどこへ誘うのだろう。

そんな気になってほんの少ししるべを追ってみた。しかしすぐに引き返す。体がずいぶん冷たくなってきた。煙草も燃え尽きた。

部屋にとって返し、雪上の道標という言葉を気に入って帰ってきた自分を恥じた。なんと安直な感性であろうか。

しかし僕の不安定な心はその言葉である方へ大きく傾いた。

つまり、帰ろう、と思ったのだ。

この雪山の上の宿を後にして、家に帰ろう。そうしてもう一度始めようというのだ。

可能だろうか。こんなに早く心が折れてしまった僕に、もう一度何かを目指すことができるだろうか。僕は何者かになれるのだろうか。これでいいのだろうか。

そんなことは考える。しかし単純な話だ。この隔離生活に耐えかねた。もう帰ろう。

いつになるだろう。早めに言おう。今日決めた。今月中に帰れたら嬉しい。

生活を夢見ていろいろと調べる日々を続けていた。安定した住処で、安定した仕事をすること。

いろいろ考えた末、やはり諦めた。

旅人になろう。そのためのチャンスが僕には今普通に暮らしてきた人たちよりも多くある。

旅人になろうと思う。まずは帰ろう。それから考えよう。ただもうここに居続けることはできない。心が疲れた。去ろう。去ろうかどうか悩む時間が無駄だ。去ろう。ただちに。逃げる。それでいい。いままでずっとそうしてきた。今更なんだっていうんだ。この地を去る。何ができたわけではない。恥が残っただけだ。それでもいい。去ろう。

ハッピースタンプ

ハッピースタンプ

 刈谷信一が釈放された日は天気の良い土曜日で、迎えに来た母に連れて行かれたイオンモールは家族ずれでとても混み合っていた。フードコートで食べたステーキは硬くて筋張っていたので飲み込むのに苦労した。母が紙幣で支払いをすませるのを見て、信一は深い感慨を覚えた。あたりまえのように使える紙幣。立派なものだ。俺のこしらえた紙幣はどうしてあんなに簡単に偽物だってばれたのだろう?これで二度目だ。三度目はないとあのデブの刑務官にも強く言われた。あいつのワキガは心底臭かった。ここは子供がうるさいがあいつのワキガが香ってこないだけで天国だ。

「母さん、そんなに無理しなくていいんだよ。俺は今ある服で十分だから。それより少しは化粧をしなよ、まだ四十になったばっかりでしょ?」

「母さんのことなんてどうでもいいんだよ。あんたには昔からいろいろと不便をかけたからね。今日はお祝いだから、お金のことは気にしなくていいんだよ」

 信一は特に気に入ったわけではなかったが母の勧めを無下に断るのも申し訳なかったので彼女が似合うといった服を三着ほど買ってもらった。はやくイオンモールを去りたかった。まわりの声が耳に痛すぎる。どこをみても疎外感しか感じなかった。

「母さん、もう帰ろうよ」

「そう?じゃあドーナツでも買って帰る?」

「ああ、そうだね」

 できるだけ母の好きなようにさせようと思った。断ることにも体力は使うのだ。久しぶりの再会なのに、意味のないことで怒鳴りつけるのも馬鹿らしい。それにしても、と信一は伸びをしながらあたりを見回した。こんなにも店がたくさんあるのに、俺の興味を引くものは何一つないんだな。いったいここに来ているやつらは何が目的なんだろうか?休日はイオンモールに行くという宗教でもあるのか?まさか、そんなわけはない。でもあの嘘つきのおばさんがいつの間にか野党のトップになっている日本だし、そんなありえないことも簡単に否定できない気もする。相変わらず馬鹿げた世界だ。

 もしかするとこいつらみんなロボットなんじゃないだろうか。みんな似たような服着て似たような髪型で、どうでもいいようなものを嬉しそうに選びあっている。いったい何が目的だ?俺への宣伝か?そりゃたいしたことだ。もし何も買わずにイオンモールから出ていたら、こいつらみんな急に無表情になって追いかけてきたりして。なぜ買わないんだ、なぜ同じようにしないのだ。

 信一がそんな妄想をしながら目の前を行き過ぎる何組みもの家族連れを見送っていると、母がドーナツの箱を下げて店から出てきた。

「母さん、俺が持つよ」

「あら、ありがとね。あんたは昔から優しい子だねえ」

「母さん、俺はもうガキじゃないんだよ。それよりその切手はなんだい?」

「ああ、これはねハッピースタンプっていって、集めると何でももらえるのさ。さっきあんたの服も買ったから、今日は結構集まったよ」

 嬉しそうに笑う母からキャラクター柄の切手を受け取ると、信一は体に衝撃が走るのを感じた。これだ!

「これ集めるといったい何がもらえるんだい?」

 手の震えを懸命に抑えながら信一は母に尋ねた。

「ああ、丁度あそこにカタログがあるよ」

 古びれたアパートに帰り着いた信一はその切手をじっくりと観察した。これならいけそうだ。紙幣の複製には技術的な問題がありすぎたが、この切手なら簡単にコピーできるはずだ。前に切手の複製は試したことがあるから、裏側の糊もまだ在庫があるはずだ。

「信一、今日の晩御飯は唐揚げでいいかい?」

「もちろん!それよりも母さん、どんな家に住みたい?」

 キョトンとする母に満面の笑みを送り、信一は寝室へ向かった。そして一時間後には布団はコピーされたハッピースタンプに埋もれて見えなくなっていた。

「そうだねえ、母さんは海が見える家に住んでみたかったんだ」

「でも津波が来るかもしれないよ?」

「そうだねえ。だけどそんなに長生きしても仕方ないしねえ」

「またそんなこと言って、俺を一人にしないでくれよ」

 熱々の唐揚げを頬張る信一たちは実に楽しそうだった。隣の寝室ではコピー機がハッピースタンプの複製を生み出し続けている。二人はコピー機の騒音に負けないように声を張り上げて話していた。テレビはないが、ハッピースタンプのカタログが二人に夢を語っていた。

「この家なんてどうだい?」

 食後のタバコを吹かしながら母はカタログに載っている家の一つを信一に示した。海を眺められるデッキが印象的な写真だった。切り取ったハッピースタンプに糊を塗り、舌で舐めて台紙に貼り付ける。そんな作業を続けながら信一は「いいね」と頷いた。

「そこは何枚で貰えるんだい?」

「2500万枚って書いてあるね」

「そうか、今何枚だっけな」

「馬鹿だねえ、今さっき1200枚って言ってただろうに」

「あぶねえ、あぶねえ」

 そういって信一は舌をぺろっと出した。真緑のグロテスクな舌。真似して出した母の舌も同じ色をしていた。なんだか子供に戻ったみたいで、お互いを指差して笑った。

 もう一枚切手を舐めて、台紙に貼り付ける。

 あと2499万8799枚で母さんに家をプレゼントできる。その次は車だ。あれは確か500万枚でよかったはず。でもとりあえずは家だ。これであと2499万8798枚……。

あとがき

この習作はスティーブンキングがたしか小学生くらいの時に書いた物語の真似だったと思います。

いつ書いたっけな。結構前。

まどろみの嫌悪

2018年12月28日

喉の渇きで目を覚ました。布団に包まったまま腕を伸ばし顔の横にあるはずのiPhoneを探す。画面の明るさに目をすがめた。時刻はまだ五時台を示していた。

もう少し眠れる。もう少し、もう少しと布団から出ることを先送りにしているうちに、いつも遅刻ぎりぎりの時間になってしまう。住み込みの仕事場で、布団から出て五分で支度してすぐ仕事に取りかかることができる。

だから今日も僕は寒そうな外の風の音を聞きながら何度も何度も夢とうつつを行ったり来たり。そういう時にみる夢は妙に現実めいていて、どこか息苦しくなる。というのも、僕はうつぶせに寝る癖があるので、そのせいではないかと思われる。

どんな夢を見ていたのかは覚えていない。それでもその時自分が感じていた胸苦しさだけは克明に残ってしまうのだから、毎日毎日寝起きはすこぶる悪い。自分の思っている自分自身の嫌な部分を僕の夢は明確なビジョンに変換して提示してくれる。なんともありがたいことだ。

無意識というものはいったい僕をどうしたいのだろうか。自分というものが存在するとして、この無意識というものも僕自身なのではないのか?なのにどうして自分を苦しめるような真似をするのだろうか、さっぱりわからない。

昨日の夢は覚えている。何か思わせぶりな態度で周囲の人に接し、いろんな思い切った決断を下していく僕自身の夢だった。そして夢の最後に僕はまわりにいる人たちに向けてまるで復讐を成し遂げるような気持ちで自分が白血病であることを告げる。

どうしてそんな夢を見たのだろう。意味深な夢を見た時僕は目が覚めてすぐにグーグルで夢占いのサイトを検索するのだが、そこには白血病の夢は「現実に耐えられず逃げ出したい気持ちを示している」と書かれていた。

僕の見る夢の診断結果はだいたいにおいて「現実から逃げ出したい」というようなことが書いてある。そしてそれはたいてい当たっている。自分で選んでそこに生きているはずなのに、僕はいつもその場所のことを嫌っていた。それは僕がいつもやるべきことをやらずに被害者意識を持って逃げ続けているせいだ。

僕はいったいどこへ行きたいのだろう。何がしたいのだろう。さっぱりわからない。

やりたいことはたくさんある。しかしそのどれもが心から願っていることなのかと問われれば、頷くことはできない。表面的な興味にすぎないようなことばかりだ。

そんな相談をすれば、たいていの人は「やってみればいい」とアドバイスをしてくれる。実際にやってみないとわからないじゃないかと。そんなことはわかっている。僕だって何かやりたいのだ。しかしその一歩目をどっちへどれだけ踏み出せばいいのかさっぱりわからない。振り上げた足を下ろす場所がわからずバランスを崩していつも転んでしまう。そして何もできないままここまできてしまった。

今年も残すところあと三日。僕はどう生き、何を変えることができたのだろうか。何もできていない。十年以上も停滞の日々を送っている。十年あれば世界は大きく変わる。十歳の小学生が成人するのだ。その間僕はいったい何をしたのだ?心に強く残る情景など一つも思い浮かばない。

あと三日。その間に何かを変えることができるだろうか。いや、そうやって、急速な変化を望むようなところがいけないのだろう。すぐに結果を欲しがる。必要なのは忍耐だ。コツコツと明確な意思を持って日々を積み重ねる忍耐。

けれど僕はどこへ向かって何を積み上げればいいのかさっぱりわからない。土台のないまま時間がこぼれ落ちていくのをただ嘆き続けていただけだ。

そういうのはもうやめたいのだが、しかし何をすればいいのだろう。どこへ行きたいのだろう。死にたいわけではない。ただ生きる方法がわからない。現実はそんなに深刻でドラマチックではない。わかっているのだが、そんな考えに囚われ続けている。

2019年にやること

2019年にやると決まっていることを記す。

まず1月10日締め切りの「アンデルセンのメルヘン大賞」に応募する。

次に1月末締め切りのアガサクリスティー賞に応募する。

 

そしてこれが本命となるのだが、3月末締め切りの新潮新人賞に応募する。

これをとりたい。今の所この賞に応募するための話は3つ構想があるが、まだどれも体をなしていない。自分がどれだけ本気で取り組もうとしているのかもはっきりとしない。

今この瞬間に本気で書かずにいつ書けるというのか。しかし考えは発散し、文章は途切れがちだ。何から始めればいいのか、どうすればプロとしてやっていけるレベルまで自分を持っていくことができるのかわからない。ただ書けばいいだけではないような気がしてきた。知識も考えも足りなさすぎる。

いや、時間はあるのだ。生きている限り。だから焦ることはないはずなのに、いつも何かに追われているような気がしていっぱいいっぱいになってしまう。そして書くことから逃げようとするのだ。

向き合わなければならない。

 

楽しいことを考えよう。

もしアンデルセンのメルヘン大賞を受賞できたらデンマーク旅行が付いてくる。パスポートは11月に取得済みだ。

落選しても、4月の長休みには海外旅行を計画している。タイへ行く予定だ。そこには大学時代からの友達がいて、彼の家に泊めてもらうことになっている。そしてタイ経由でミャンマーへひとり旅を決行し、チャイティーヨー・パゴダ、いわゆるゴールデンロックに金箔を貼り付けてくるのが目標だ。

僕はまだ日本を出たことがない。しかし僕は今、完全に自由だ。誰にも責任がない。だから僕は今こそ生きたいように生きるのだ。というわけで、2019年は旅人になる。決めた。

今旅行プランを練るためにいろんな人の旅ブログを巡回しているのだが、僕が想像していたよりもみんな自由に生きることを楽しんでいる。なら僕にもできるはずだ。

未知の世界への誓いを立てて、今日はこれくらいで終わりにします。おやすみなさい。